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倉町信俊
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倉町 信俊(くらまち のぶとし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。龍造寺氏の家臣。
略歴
龍造寺隆信に仕え、元亀元年(1570年)の今山の戦いで戦功を挙げている。室は龍造寺隆信の娘であり、龍造寺家中においてかなりの地位を築いていたと思われる。天正12年(1584年)の諫早攻めでは第3軍を指揮しているが、同年の沖田畷の戦いで、龍造寺隆信を守って戦死した。
以降、子孫は佐賀藩の家老職を務めており、鍋島姓も賜っている。
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