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光州明花洞古墳
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光州明花洞古墳(クァンジュ めいかどうこふん/ミョンファドンゴブン)は、大韓民国(韓国)光州広域市光山区明花洞にある古墳。形状は長鼓墳(前方後円形墳)。光州広域市記念物第22号に指定されている(指定名称は「명화동장고분(明花洞長鼓墳)」)[1]。
朝鮮半島南部には長鼓墳10数基が分布し、日本に多く存在する前方後円墳との関連が指摘されるが、本古墳はそのうちの1つになる。
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概要
朝鮮半島南部、光州広域市西部の標高30メートルほどの丘陵上に築造された古墳である[2]。1993年と1994年の2度、国立光州博物館により発掘調査がなされている[3]。
墳形は前方後円形で、前方部を北北西方向に向ける。現在までに墳丘西側は民家、後円部南側は畑、前方部中央は現代墓の建設により変形を受けている[2]。前方部は扇状の広がりが認められる一方、墳丘表面には葺石・段築・造出などの外部施設は認められていない[2]。墳丘周囲には盾形の周濠が巡らされるほか、墳丘裾の一部には円筒埴輪状の土製品列が確認されている[2]。この土製品には格子文や鳥足文が倒立技法で施されているほか[4]、その製作には百済の陶質土器との関連が指摘される[2]。
埋葬施設は横穴式石室で、後円部西寄りに構築されている[2]。石室は破壊を受けており、系譜などの詳細は明らかでないが、羨道を西側くびれ部方向(現在は非開口)とし、推定規模は長さ2.15メートル・幅2メートル・高さ1.5メートルを測る[2]。石室からは石鏃・胡籙金具・鉸具・陶質土器片などの百済系文物が検出されており、他地域からの文物は見つかっていない[2]。また特に釘などの発見から、木棺が玄室に安置されたと見られている[5]。
この明花洞古墳は、三国時代の6世紀前半-中頃の築造と推定される[2]。古墳の下からは青銅器時代の住居跡が発見され、当地での古くからの人々の居住が推測される[1]。しかし一帯に在地系古墳の系譜はなく、この明花洞古墳はこの地域で突如出現した古墳に位置づけられる[6]。
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墳丘
横から望む墳形(右が前方部)
墳丘の規模は次の通り[4]。
- 墳丘長:33メートル
- 後円部直径:18メートル
- 前方部幅:24メートル
墳丘の外形に関しては、寺山古墳(福岡県飯塚市)や永山古墳(大阪府堺市)との類似が指摘される[7]。
- 円筒形土製品(複製)
国立歴史民俗博物館展示。
文化財
光州広域市記念物
現地情報
所在地
交通アクセス
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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