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全日本フォーミュラ・パシフィック選手権
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全日本フォーミュラ・パシフィック選手権(All Japan Formula Pacific Championship)は、1977年から1982年まで日本で開催されていた自動車レースの1カテゴリー。フォーミュラ・パシフィック(FP)規定のフォーミュラカーを使用した四輪レースで、日本自動車連盟(JAF)は国内トップカテゴリーとして位置付けていた。
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概要
1977年、JAFはそれまでの全日本F2000選手権に代わる国内トップフォーミュラとしてFP規定の全日本フォーミュラ・パシフィック選手権をスタートさせる。初年度からグランプリのタイトルを与える力の入れようだったが、参加台数は集まらずF2000との混走に。この年は選手権は成立しなかった。 翌1978年から本格的スタート。JAFとしてはFP規定でマカオグランプリが行われること、長らくモータースポーツ活動を停止しているトヨタ自動車・日産自動車がエンジンを供給することなどから、全日本F2選手権(F2000が1978年から名称変更)から行く行くはFPを国内トップフォーミュラに据えたい方針だったが、意に反しエントラント・ファンの耳目はFPに集まらず、欧州主体のF2が依然トップフォーミュラと認定され続け[1]、富士スピードウェイの独自カテゴリである富士GCシリーズがF2と並んで日本の代表カテゴリーとなっていた[1]。
全日本FPには長谷見昌弘、星野一義、中嶋悟、松本恵二と言った国内トップドライバーが参戦したものの、平均出走台数は10台前後と言ったシーズンが続き、特に大きなムーブメントを起こすこともになく1982年を以て終了した。なお、JAFは翌1983年から、新たな全日本選手権として全日本耐久選手権をスタートさせる。
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歴代チャンピオン
関連項目
脚注
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