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全音音階(ぜんおんおんかい、英語:whole tone scale)は、全音のみで1オクターブを6等分した音階。ポピュラー音楽ではホールトーン・スケールと呼ばれる。
リチャード・タラスキンによると、全音音階を意図的に用いた早い例としては、フランツ・シューベルトの『ミサ曲変ホ長調 D950』(1824年)のサンクトゥス冒頭などがあり、シューベルト『八重奏曲ヘ長調D803』の最終楽章ではヴァイオリンとヴィオラに全音音階の下降音階が出現する[1]。また、フランツ・リストも全音音階や八音音階を用いた[2]。
ミハイル・グリンカは『ルスランとリュドミラ』(1842年)で全音音階の下降音階をチェルノモールの主題として用いている。第1幕で婚礼が突然中断され、猛烈な全音音階が聞こえてリュドミラがさらわれるシーンは大変に印象的でよく知られる。有名な序曲ではコーダ部分にこの主題が出現する。『ルスランとリュドミラ』はドビュッシー以前の全音音階の使用例としてよく知られている[3]。グリンカ以来、全音音階はロシアの多くの作曲家によって用いられた。ピョートル・チャイコフスキーは交響曲第2番(1872年)の最終楽章で全音音階を用いている[4]。アレクサンドル・ボロディンは歌曲『眠る王女』(1867年)で全音音階を使っている[5]。ニコライ・リムスキー=コルサコフは交響曲『アンタール』(1868年)で全音音階の下降音階を用いている[6]。
全音音階をもっとも盛んに用いたドビュッシーは早く1870年代、パリ音楽院時代に『ルスランとリュドミラ』やリムスキー=コルサコフの管弦楽曲『サトコ』などを知った[7]。1887年のカンタータ『春』ですでに全音音階を使用しているが、ドビュッシーの全音音階の使用には1889年のパリ万国博覧会で接したインドネシア・ジャワ島の音楽(ララス・スレンドロ)の影響も指摘されている[8]。
一般に馴染まれているドレミファソラシドといった音階では、全音と半音の両方が使われているが、全音音階では、全音(長2度)しか使われない。そのため、ドレミの次はファではなく、ファ#、ソ#、ラ#、となる。ラ#の次はドになってしまう。音階を構成する音の数は6個である。同様に半音ずらすとド#、レ#、ファ、ソ、ラ、シとなる。主音をどれに持ってきてもこの2種類しか存在しない。古典的な意味での和声の調和を、全く目標としていない音階である。また、全音と半音の配置から決定される全音階における主音のような音階の中心音を認識することが不可能となり、古典派やロマン派の音楽の大前提であった調性を崩壊させることにもつながった。
独特の印象のある音階である。勿論どんな音階もそれぞれ独特の印象を持っているのだが、全音音階は(普通のピアノで表現可能な範囲での)他のどの音階とも似ていない。完全五度の音程を持たないため、通常の西洋音楽に出現する長三和音、短三和音を音階にある音だけで構成することができない。
オクターブを単純に等分することによる平坦さは、平均律と相性が良い。また調性感覚をぼかすのにも都合が良く、ドビュッシーはそれを目的に多用した。
メシアンの1944年の理論書「わが音楽語法」の中では、7種類の「移調の限られた旋法(MTL)」のうち第1番として定義した。前述の通り、この音階には2種類の移調以外ありえないからである。
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