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八木林作
日本の内務官僚 ウィキペディアから
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八木 林作(やぎ りんさく、1883年(明治16年)8月1日[1] - 1974年(昭和49年)6月11日[2])は、日本の内務官僚。官選島根県知事、尼崎市長。

経歴
京都府天田郡出身[1][注 1]。八木新造の六男として生まれる[3]。第三高等学校を卒業。1909年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し北海道庁属となる[3][4]。
以後、北海道庁事務官補・同理事官、栃木県理事官、兵庫県事務官、朝鮮総督府道事務官、山梨県警察部長、高知県内務部長、石川県内務部長、兵庫県書記官・警察部長、長崎県書記官・内務部長[5]などを歴任[3]。
1927年5月、島根県知事に就任。1928年7月、第四次産業計画を決定。浜田漁港の修築を推進。1929年9月、知事を休職となる。1931年12月、島根県知事に再任。県財政の立て直しのため、県立学校の整理・統廃合を計画[3]。1932年6月28日、知事を休職となる[6]。同年に退官[4]。
1943年7月、尼崎市長に就任し、1946年11月、公選市長の導入により退任した[1]。その後、公職追放となった[7]。
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脚注
参考文献
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