トップQs
タイムライン
チャット
視点
六甲丸 (初代)
ウィキペディアから
Remove ads
六甲丸(ろっこうまる)は、関西汽船が運航していたフェリー。本項目では1969年に就航した初代を取り扱う。
Remove ads
概要
1969年11月、ジャンボフェリーの運行開始にあたって、同型船の生駒丸 (初代)とともに就航した。就航当時、日本最大級の双胴船であった。
1973年5月19日、四国中央フェリーボートのせとうちが播磨灘を航行中、機関室火災を起こして沈没した。付近を航行中だった本船は救援に駆けつけ、総員退船した乗員乗客を救助した[1]。
1990年、六甲丸 (2代)、生駒丸 (2代)の就航により、生駒丸(初代)とともに引退した。
その後、海外売船され、タイでKING CRUISERとして就航したが、1997年5月4日、プーケット沖のアンダマン海でサンゴ礁に衝突して沈没、乗客約800名は全員救助された。沈没地点は、アネモネリーフと呼ばれるダイビングスポットで、現在は沈船となった本船もダイビングスポットとなっている。
就航航路
阪神高松ジャンボフェリー
- 神戸港(東神戸フェリーセンター) - 高松港(高松東港)
- 加藤汽船との共同運航で、本船と同型船の生駒丸 (初代)、加藤汽船のりつりん (初代)こんぴら (初代)の4隻で1日10便、航海時間4時間10分で運航していた。
Remove ads
設計
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
竣工時、主機は1,600PSのディーゼル機関4基だったが、出力がやや過小で延着対策のため、1978年に2,500PS×4基に換装された。
脚注
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads