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内藤義稠
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内藤 義稠(ないとう よししげ)は、江戸時代中期の大名。陸奥国磐城平藩の第5代藩主。官位は従五位下・左京亮。延岡藩内藤家宗家5代。
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略歴
兄・義覚が早世したため嫡子となり、正徳2年(1712年)に父・義孝が病死したためその跡を継いだ。しかし藩政に見るところもなく、享保3年(1718年)に早世した。嗣子がなかったため、従弟にあたる政樹(伯父内藤義英の長男)が跡を継いだ。
死因は病死とされるが、松賀族之助・松賀孝興父子による毒殺説もある。
系譜
父母
婚約者
- 登免 - 間部詮房の養女、間部詮貞の娘
養子
脚注
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