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内閣委員及各省委員設置制
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内閣委員及各省委員は、1942年6月10日から1944年6月30日まで、日本の内閣と各省に設置されていた。
翼賛選挙の結果を受けて東條内閣は、官民協力体制を強化し、行政能力を増進させることを目的とし、また翼賛政治会との連携を図るため[1][2]に、1942年6月2日の閣議において「内閣及各省ニ委員設置ニ関スル件」[3]を決定し、同年同月9日に内閣委員及各省委員設置制(昭和17年6月10日勅令第566号)[4]を制定した。これにより、内閣と各省(陸軍省と海軍省は除く)にそれぞれ委員が置かれた。委員は、 帝国議会議員・学識経験者から任命した。翼賛政治会の政務調査会とは関係性が深く、同年12月に開催された政務調査会で政務調査会会長の山崎達之輔は「願くは、各位は本調査会を根城とし、入っては調査会委員たり、出では内閣、各省委員たりとの御心構を以て常に本会との緊密なる連携に努められ」たい、と述べている[5]。 参与委員設置制の施行に伴い、廃止された[6]。
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参考文献
- 伊藤隆; 百瀬孝『事典 昭和戦前期の日本 制度と実態』吉川弘文館、1990年、31頁。
- 井手成三「文官制度の諸問題(民間智能の活用)―内閣委員及各省委員設置制其の他」『自治研究』第18巻第9号、良書普及会、1942年、39-50頁。
- 関口哲矢「アジア・太平洋戦争期の内閣機能強化・政治力強化に関する一考察 内閣委員及各省委員や政務官の制度分析を中心に」『史潮』第66号、歴史学会、2009年、24-46頁、CRID 1520853832871688448、国立国会図書館書誌ID:10523523。
脚注
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