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出海村
日本の愛媛県喜多郡にあった村 ウィキペディアから
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出海村(いずみむら)は、1954年(昭和29年)まで愛媛県喜多郡にあった村であり、近隣町村と合併し新たに長浜町となり、自治体としては閉鎖された。長浜町は平成の合併で大洲市となり、現在に至る。大洲市の北西端、伊予灘に面した農漁村であった。
地理
社会
地域・集落
集落は出海の1つのみ。 中心部に行政施設、教育施設などがこぢんまりと立地している。東隣の櫛生村同様、明治の市制・町村制度施行の際にも一村がそのまま村となった。その後長浜町になっても大字として受け継がれた。平成の合併により大洲市となって、大字は省き長浜町を冠する。
- 現在の地名表記 大洲市長浜町出海
行政
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- 役場
- 村長
- 兵頭彌三良
- 耳塚源治郎
人口・世帯数
- 1904年(明治37年) 243戸、1136人
- 1921年(大正10年) 259戸、1224人
- 参考 2020年(令和2年) 176世帯、385人[1]
教育
小中学校共に村立として開設され、長浜町立出海小学校となり存続していたが、中学校は昭和50年代に統合された。小学校は大洲市に合併されても即続していたが、2011年(平成23年)に閉校。このため当村地域に小中学校ともに現存しなくなった。なお、隣村であった櫛生村も小中ともに統合・閉校されており[2]、当地近辺に小中学校はなくなってしまった
- 出海小学校 2011年(平成23年)喜多灘小学校とともに長浜小学校に統合、閉校[3]。なお、跡地は福祉施設ほかになっている。
- 中学校 1983年(昭和58年)3月長浜中学校に統合、閉校。
- 長浜高等学校出海分校 (定時制)1958年(昭和33年)閉校。
医療
- 木下愛水(医師)[4]
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歴史
古代 - 中世
藩政期
明治以降
- 1875年(明治8年) - 泉学校開設。
- 1889年(明治22年) 12月15日 - 市制・町村制実施により、出海村の一村がそのまま出海村として存続。喜多郡に属す。
- 1912年(大正元年) - 電灯ともる。
- 1955年(昭和30年) 1月1日 - (旧)長浜町、喜多灘村、大和村、櫛生村、白滝村との合併により、新たな長浜町となる。
出海村の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) 町村制施行時 出海 ━━━━━━ 出海村 ━━━━━━━━━━━━┓ ┃(昭和30年1月1日) 長浜町 ━━━┫ 喜多灘村 ━━━╋━━ 長浜町 櫛生村 ━━━┫ 大和村 ━━━┫ 白滝村 ━━━┛ (注記)長浜町ほかの合併まで、および長浜町の平成の合併の系譜については、それぞれの町村の記事を参照のこと。
産業
- 商業
- 農業
- 農産物では、米、麦、雑穀、柑橘等を産する。『大日本篤農家名鑑』によれば出海村の篤農家は、「耳塚源次郎」のみである[6]。集落背後の傾斜地において柑橘類の栽培が導入されたのは太平洋戦争後のことである。北斜面であり、冬場の季節風の影響も受けることから大産地を形成するには至っていない。
- 漁業
交通
出身者
脚注
参考文献
関連項目
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