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函容丸

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函容丸(かんようまる)は、日本海軍の運送船[3]。 竣工後に開拓使へ譲渡され函館丸と改称した[5]

概要 函容丸, 基本情報 ...
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艦型

木造気船[5]、 帆装は2ブリッグ[1]。 主機は直立双置気筒機械でシリンダーの直径は660mm、行程は540mmだった[5]。 ボイラーは方形1基で蒸気圧力は2kg/cm2[5]。 計画出力は250実馬力(60名馬力[6])だった[5]

要目表は『海軍省報告書』[1]、『横須賀船廠史』[5]などによった。 その他の文献による主な要目は以下の通り。

  • 『日本近世造船史』:長さ175 ft (53.34 m)、幅20 ft (6.10 m)、トン数373トン、63馬力[8]
  • 『近世帝国海軍史要』:排水量450英トン[9]
  • 『日本海軍史』第7巻:長さ50.9m、幅7.1m、吃水2.7m、排水量450トン、250馬力[10]

艦歴

要約
視点

明治4年度計画で横須賀造船所で建造された[3]。 計画時に名称は60馬力運送船[6]明治4年9月(1871年10月から11月)に起工[2]1873年(明治6年)10月23日午後5時に進水式が行われ、勝海舟海軍大輔が臨場し[4]涵容と命名された[11]。 しかし10月25日に秘史局からの字には(船に)水が入る意味があり函容にしてはどうか、と提案があった[12]は包む意味で漢籍には「函之如海」(これを包むこと海の如し)とあり[12][13]函容は広く包容力のある意味となる[13]。 そこで10月27日に改めて函容と命名の達が出された[14][15]

12月9日に船長が任命された[16]函容丸は竣工まで造船寮の所轄であるが、艤装中の艦船乗員の給与規則がまだ決まっていなかった[17]。 このため函容丸は12月17日に提督府所轄の運送船となった[18][19]

任務は12月の時点で測量船を予定していた[20]1875年(明治8年)1月13日、六等船と定められ、当分は予備艦とされた[21][22]

同年3月13日に竣工[1]、 17日に公試運転を実施、この時は開拓使の派出員も視察した[5]。 既に開拓使へ55,000で譲渡と決まっており、3月20日に開拓使に引き渡された[5]。 なお『日本海軍艦船名考』では3月22日に交付[2]、 『記録材料・海軍省報告書第一』では3月24日に交付としている[1][23]

開拓使は船名を函館丸と改称した[5]

函館丸

概要 函館丸, 基本情報 ...

1875年(明治8年)12月19日、自衛のために8cm砲4門を備え付けたいと申請があった[28]。 同年12月27日に函館丸など開拓使所有の3隻は一時的に海軍の附属船とされた[29]江華島事件の事後処理のために黒田特命辨理大臣を朝鮮に派遣、彼を護送する軍艦の附属船という形だった[29]

1882年(明治15年)に開拓使が廃止され、函館丸は4月7日に農商務省へ引き継がれた[30]。 また同年に北海道運輸会社が設立され、函館丸を含む艦船8隻が3月23日から当分の間、同社へ貸し下げられた[31](4月8日付けで4隻追加[32])。 同年に北海道運輸会社は新設の共同運輸会社へ合併、7月26日付けで函館丸はそのまま共同運輸会社ヘ貸与の形となった[33]

1883年(明治16年)に老朽化のためにボイラーの交換、主機の改造など大規模な修理改造が行われた[24]。 搭載の8cmクルップ砲4門は9月18日に海軍省へ無償で交付された[26]

1885年(明治18年)に逓信省が発足し船舶などは農商務省から引き継がれた[25]。 同年末の要目は表の通り[27]1886年(明治19年)4月14日付けで日本郵船(郵便汽船三菱会社と共同運輸会社の合併会社)へ函館丸を無償下附したと報告が出された[25]

概要 函館丸, 基本情報 ...

1887年(明治20年)末の時点では、三井物産会社に所有が移っている[34]

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1891年(明治24年)10月に石川県の前波宗吉が函館丸を16,300円で購入、函館港を母港に北海道各港への貨物運送に使用された[35]。 翌1892年(明治25年)に函館区の能登善吉(函館での運航責任者)が18,000円で購入して船主となり、そのまま函館を母港に使用された[36]

函館丸日清戦争に従軍し、1895年(明治28年)4月29日に竹敷を出港、6月4日に佐世保港に帰着の記録が残っている[37][38]

1905年8月27日、大田名部字門ノ沢岩礁に座礁し、全損となった[39]

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船長

函容丸
  • 笠間広盾 大尉:1874年12月9日[16][19] -
  • 増田廣豊 大尉:1875年2月4日[40] -

脚注

参考文献

関連項目

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