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劉玄 (成漢)
中国晋代の人物 ウィキペディアから
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略歴
蜀漢が滅亡した後に洛陽へ移され、奉車都尉に任じられ、郷侯と同格の地位を与えられた。
永嘉の乱に一族が巻き込まれ、劉備の子孫はほとんど殺されたが、劉玄だけは蜀の地へ逃れた。当時、蜀一帯を領有して成漢を建国していた巴氐族の李雄によって、大叔父である劉禅の爵位である安楽公に封じられた。やがて、旧臣筋である李寿(李福の孫で李驤の子)をその臣下につけられたという。
永和3年(347年)、東晋の大司馬桓温が成漢へ侵攻し、皇帝李勢は降伏した。桓温に随行していた孫盛は、劉玄と成都で会ったという。
参考文献
- 『十六国春秋』 蜀録
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