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加藤虎之亮

日本の哲学者 ウィキペディアから

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加藤 虎之亮(かとう とらのすけ、明治12年(1879年10月21日[1] - 昭和32年(1957年)12月2日[2])は、静岡県吉原市出身の中国哲学者、漢詩人、蔵書家[1]。字は子弸、号は天淵として知られる[1]文学博士

経歴

静岡師範学校に学び[1]、さらに北条時敬校長時代の広島高等師範学校にて三宅真軒に師事する[1][3]。明治41年(1908年)に漢文科を卒業した後、同付属中学校[1][4]広島陸軍地方幼年学校[1]を経て財団法人無窮会の招きに応じて上京し、傍ら東京府青山師範学校教鞭を執る[1]大正11年(1922年)に武蔵高校が設立されると招聘されて漢文科教授となる[1]。昭和10年(1935年)に文学博士の学位を得る。大東文化学院二松学舎専門学校立正大学東洋大学(昭和13年教授に就任)などにも出講[1]。昭和23年(1948年)から、東洋大学第16代学長に就任[1]。晩年に玉川大学で教えた[1]。最晩年には無窮会理事長および研究所長を兼任。また、30年以上もの間周礼の193種の異本を研究し『周礼経注疏音義校勘記』を上梓宮内省御用掛として香淳皇后経史を進講した[1][3][5]。昭和32年(1957年)に紫綬褒章を受ける[1]。同年12月2日に死去。享年80。正四位に叙され勲三等旭日章を受ける[1]。法号は天淵院殿子弸日虎大居士[1]

天淵文庫

蔵書は死後に遺族によって無窮会に寄贈され、天淵文庫と名づけられて目録が作成され公開されている[1]

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著書

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参考文献

脚注

外部リンク

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