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加藤辰芳
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加藤 辰芳(かとう たつよし、1932年12月5日 - )は、日本のプロゴルファー。
来歴
1961年には第2回中日クラウンズで勝俣敏男と並んでの10位タイ[1]に入り、九州で戦後初めて開催された日本プロでは初日、生憎の雨でスタートが1時間遅れ、グリーンの所々に水溜りが出来るという悪コンディションの中、コースレコードの69をマークして2打差の首位に立つ[2]。2日目には雨は上がったが今度はコースに接する玄界灘から強い風が吹き付け、75と苦戦したが通算イーブンパー、144でタイながら首位を守った[2]。
1963年にホームコースの三好カントリークラブで行われた中日クラウンズでは初日第1ラウンドを1打差パープレーで単独2位としたが、第2ラウンドでは75と一歩後退し、最終的には松田司郎と並んでの9位タイ[3]に終わった。
1963年のホワイトベア杯グランドマンスリーでは中村寅吉・細石憲二を抑えて優勝し[4]、1964年の日本プロでは石井迪夫と並んでの8位タイ[5]に入った。
1969年の中日クラウンズでは初日にドライバーショットをラフに入れたのは12番だけ、グリーンを外したのも3ホールのみという正確さでバーディを積み重ね、66ストロークで同年から新設されたベストスコア賞(10万円)を獲得[6]。
1975年の中部オープンでは初日を野口英雄・寺嶋拓夫と共に鈴村照男から2打差2位タイ[7]でスタートし、1983年には関西プロシニアで優勝[8]。
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主な優勝
- レギュラー
- 1963年 - ホワイトベア杯グランドマンスリー
- シニア
- 1983年 - 関西プロシニア
脚注
外部リンク
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