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勧修寺顕允
幕末の公家、明治期の陸軍軍人・政治家 ウィキペディアから
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勧修寺 顕允(勸修寺 顯允、かじゅうじ あきまさ[1] / あきこと[2])は、幕末の公家、明治期の陸軍軍人・政治家・華族。最終階級は陸軍歩兵大尉。貴族院伯爵議員。
経歴
山城国京都で右中弁・勧修寺経理の長男として生まれる[1][3]。明治維新時には正五位下・大夫[3]。1884年(明治17年)7月7日、伯爵を叙爵した[4]。
明治2年(1869年)皇太后宮大進となり、その後、愛知県出仕三等中警部に転じた[2]。1877年(明治10年)西南戦争において新撰旅団に所属し少尉試補に任官[3]。1879年(明治12年)陸軍戸山学校教則を卒業し、同年、陸軍歩兵少尉に任官[2]。以後、広島鎮台歩兵第11連隊第3大隊付、同小隊長、歩兵第5連隊小隊長、歩兵第6連隊小隊長などを歴任[2][3]。陸軍歩兵大尉に昇進して退役した[2]。
編著
- 『布知可豆良』山本彦兵衛、1899年。
系譜
脚注
参考文献
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