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北畠安五郎
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北畠 安五郎(きたばたけ やすごろう、 1875年〈明治8年〉9月 - 1933年〈昭和8年〉)は、明治から昭和期の実業家、日本エナメル株式会社(現・タカラスタンダード)創業者[1][2]。旧姓、河合。兄は、佐藤達次郎(初代東京医学専門学校長・第3代順天堂医院長・初代順天堂医科大学長)[1]。
人物・経歴
1875年(明治8年)9月、河合貞輔の三男として、東京府で生まれる[1]。後に北畠市郎右衞門の養子となる[1]。
その後、立教専修学校(現・立教大学)で修学[3]。 1906年(明治39年)、東京帝国大学医科大学薬学科を卒業[1]。
日本に帰国後、西欧の製品に劣らないホーロー製品をつくろうと、1912年(明治45年)5月、日本エナメル株式会社(現・タカラスタンダード)を設立。生産開始にあたってドイツからホーロー技師を招き、品質の高いホーロー製品の生産に成功する[2][4]。北畠は、同社創業者として専務取締役を務めた[1]。
塩野長次郎(塩野義商店〈現・塩野義製薬〉副社長)は、東京帝大薬学科出身のため親交があり、日本エナメル創業後も相談を行う仲だった。また、1910年(明治43年)に塩野は塩野製薬所を淀川河畔に開設したが、2年間製薬所は赤字続きの状況にあった。そこで、1911年(明治44年)に北畠は同じく同学科出身の近藤平三郎(薬学者)を塩野に紹介して、近藤は塩野義商店の顧問に就任し、公務の傍ら製品の開発を行った[5][6]。
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主な著作
- 『輸出琺瑯鐵器製造工業の現状に就て』大日本窯業協會雑誌(35巻409号)1927年
親族
脚注
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