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十三翼の戦い
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十三翼の戦い(じゅうさんよくのたたかい)は、1189年頃[1]、ダラン・バルジュドの地[2]にて、後にモンゴル帝国の祖(チンギス・カン)となるキヤト氏族のテムジンと、その盟友でジャダラン氏族のジャムカとの間で行われた戦い。
十三翼の戦いの経緯
モンゴル部キヤト氏族の若き首領・テムジン(後のチンギス・カン)は、旧交のあったモンゴル部ジャダラン(ジャジラト)氏族のジャムカの勢力と同盟関係にあった。しかし、ジャムカの弟タイチャルが、テムジンの傘下にあったジャライル部ドランギト氏族のジョチ・ダルマラの馬群を盗み、ジョチ・ダルマラに射殺される事件が起こる。これによってジャムカはテムジンらキヤト氏族に侵攻し、テムジンはダラン・バルジュトの地でジャムカを迎え撃った。この時ジャムカの勢力には「十三の異部族(カリン)」が集まり、その内訳はジャダラン氏族をはじめ、タイチウト氏族、イキレス氏族、ウルウト氏族、ノヤキン氏族、ニチュグト・バアリン氏族らであり、3万の兵力であった。一方、テムジンの勢力は「十三の団営(クリエン)」があり、1万3千(『集史』では1万3千であるが、『元朝秘史』では3万である)の兵力であった。テムジンの勢力はたちまち敗れ、オナン河のジェレネ狭間に逃げ去った。ジャムカは捕えたネグス(チノス)氏族の者らを70人煮殺し、その族長チャカアン・ウアを斬首し、馬で引きずりまわした。『集史』ではテムジン側が勝利したとしているが、これは誤りである。[3]
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十三の団営(クリエン)
テムジンの勢力は以下の13の団営(クリエン)により編成されていたことから、十三翼の戦いと呼ばれる。ラシードによると「クリエン(küriyen)」とは部族がどこかに駐屯する際、それぞれのユルトと幌車からなる「アイル(ayil)」(一世帯)が円陣を組み、その中央には首長家のアイルがある形態(グループ)を言う[4]。敵襲を防ぐ意図もある[5]。
- テムジンの母ホエルンとそのオルドに付属する僕婢や家子、郎党ら。
- テムジン及びその諸子、僚友(ノコル)、諸将、親衛兵団(ケシクテン)。
- カブル・カンの兄弟のセン・カチュラの子孫、ブルテチュ・バアトル率いるアダルギン氏族、これと同盟するムクル・カウラン率いるトベゲン・ケレイト氏族およびこれらに隷属するコルラス族。
- カブル・カンの孫ソルカドゥ・ノヤン(ユルキ)の庶子のデレンギ、コリダイ兄弟率いるキヤト・ジュルキン氏族とその同盟者ブタアト族。
- カブル・カンの孫ソルカドゥ・ユルキの子のサチャ・ベキ率いるキヤト・ジュルキン氏族。
- カブル・カンの孫ソルカドゥ・ユルキの子のタイチュ率いるキヤト・ジュルキン氏族とそれに隷属しているジャライル部族。
- カブル・カンの諸子のクラン、カダアン、トドエンらが率いるキヤト氏族。
- カブル・カンの孫でイェスゲイ・バアトルの兄モンゲトゥ・キヤン率いるキヤト・チャンシウト氏族とそれに隷属するオングルらのバヤウト族。
- カブル・カンの孫でイェスゲイ・バアトルの弟ダリダイ・オッチギンと従兄弟(ネクン・タイシの子)のクチャルら率いるキヤト・サヤール氏族とこれと同盟するドクラト氏族、またこれらに隷属するネグス、コルカン、サカイト、ヌンジンなどの諸族。
- カブル・カンの子で先代のカンであったクトラ・カンの子ジョチ・カン率いるキヤト氏族。
- クトラ・カンの子アルタン・オッチギン率いるキヤト氏族。
- ダキ・バアトル率いるキンギヤト氏族とそれに隷属するスケゲン族。
- アンバガイ・カンの異母弟でタイチウト氏族出身のゲンドゥ・チノ、ウルクチン・チノ兄弟の子孫とされるネグス氏族の一集団。
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脚注
参考文献
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