トップQs
タイムライン
チャット
視点
南呂院
佐竹義昭の次女。宇都宮広綱の正室。 ウィキペディアから
Remove ads
南呂院(なんりょいん、生没年不詳)は戦国時代の女性。佐竹義昭の娘[1]。宇都宮広綱に嫁いだ[1]。宇都宮国綱・結城朝勝の母。少将[2]。広綱の死後、南呂院と称した[3]。
天正4年(1576年)あるいは同8年(1580年)、夫・広綱が死去した際、跡を継いだ国綱が幼かったため、兄・佐竹義重と共にこれを後見した[4]。この時期、家臣の壬生義雄や皆川広勝の内乱が活発化した。
脚注
参考文献
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads