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南昌市
中国江西省の省都 ウィキペディアから
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南昌市(なんしょう/ナンチャン-し、拼音: )は、中華人民共和国江西省の省都である。江西省の省人民政府が設置される江西省の政治・経済の中心。二千二百年の歴史を有し、国家歴史文化名城に指定されている。九江市・景徳鎮市などと共に「環鄱陽湖都市群」を構成している。華中地域では、三番目の大都市となる。


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地理
南昌市は江西省中部のやや北、贛江・撫河下流に位置し、中国最大の淡水湖である鄱陽湖に臨む。全境、平原を主とし、西北には丘陵が起伏する。全市の平均海抜は25メートルである。西部は西山山脈となり、最高点は梅嶺主峰の洗薬峰で海抜841.4メートルである。

歴史
春秋戦国時代
春秋時代からは豫章と称され、呉の領内だったが、戦国時代では呉は楚に滅ぼされ(紀元前553年)、楚の一部となった。
前漢
紀元前202年、漢の高祖劉邦は潁陽侯灌嬰に命じて南昌周辺を駐守させた。翌年、灌嬰は部下を率いて現在の南昌駅東南約4キロにある黄安寺あたりに土城を築き、灌城と称した。これが南昌建城の始まりである。その後は豫章郡となり、後に灌城は南昌と呼ばれるようになった。南昌では「昌大南疆」の意味が含まれている。
唐
唐代では洪州と称され、大いに発展し、中国南部の大都市となった。特に造船業・製紙業・印刷業・織物産業・陶磁器製造業が発達した。中には洪州窯が有名で、青瓷(青磁)の発祥の地となり、後の中国六大名窯となった。
唐の太宗李世民の弟の滕王李元嬰がこの地に滕王閣を建て、後は詩人王勃の名作「滕王閣序」によって広く知られるようになった。幾度も戦火や火災によって破壊されたが十数回も再建され、今では江南の三大名楼として知られる。
五代十国時代
南唐の皇帝李璟によって南昌府に昇格され、後の961年に「南都」と称され、南唐の首都となった。
宋
南宋に入って、孝宗が即位した後の1163年に隆興府と称され、中国全土の五大造船都市として造船業がさらに発展した。
近現代
1927年8月1日、周恩来・朱徳・賀竜・葉挺・劉伯承らが世界を震撼させた武装起義(南昌起義)を指導し、南昌は中国人民解放軍誕生の地となった。この日は中国の建軍記念日として祝日になっている。
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行政区画
要約
視点
6市轄区・3県を管轄する。
年表
南昌市
- 1949年10月1日 - 中華人民共和国江西省南昌市が発足。一区から七区までの区が成立。(7区)
- 1949年10月 (1市)
- 一区から五区までの区を廃止。
- 六区・七区が南昌専区南昌県に編入。
- 1951年8月18日 (6区)
- 一区から四区までの区を設置。
- 南昌専区南昌県の一部が分立し、五区・六区が発足。
- 1952年5月 - 五区・六区の各一部が合併し、七区が発足。(7区)
- 1953年2月8日 - 二区の一部が分立し、水上区が発足。(8区)
- 1955年5月14日 - 一区が東湖区に、二区が滕王区に、三区が撫河区に、四区が西湖区に、五区が潮王洲区に、六区が青雲譜区に、七区が塘山区にそれぞれ改称。(8区)
- 1956年5月12日 - 潮王洲区・青雲譜区・塘山区が合併し、郊区が発足。(6区)
- 1957年5月 - 水上区が滕王区に編入。(5区)
- 1958年8月23日 - 南昌専区南昌県・新建県を編入。(5区2県)
- 1958年10月 - 郊区の一部が分立し、青雲譜区が発足。(6区2県)
- 1961年9月16日 - 南昌県・新建県が宜春専区に編入。(6区)
- 1968年9月11日 - 郊区が宜春専区南昌県・新建県に分割編入。(5区)
- 1969年10月 - 宜春専区新建県・安義県、九江専区永修県の各一部が合併し、梅嶺管理区が発足。(6区)
- 1971年5月28日 - 宜春地区南昌県・新建県を編入。(6区2県)
- 1972年3月10日 - 梅嶺管理区が湾里管理区に改称。(6区2県)
- 1972年3月 - 南昌県・新建県の各一部が合併し、郊区が発足。(7区2県)
- 1981年3月18日 (5区2県)
- 湾里管理区が湾里区に改称。
- 滕王区が東湖区に編入。
- 撫河区が西湖区に編入。
- 1981年5月27日 - 宜春地区安義県、九江地区永修県の各一部が湾里区に編入。(5区2県)
- 1983年7月27日 - 宜春地区安義県、撫州地区進賢県を編入。(5区4県)
- 1985年3月15日 - 湾里区の一部が新建県に編入。(5区4県)
- 1986年1月6日 - 南昌県の一部が郊区に編入。(5区4県)
- 1987年1月6日 - 郊区の一部が新建県に編入。(5区4県)
- 1994年8月26日 - 郊区の一部が青雲譜区に編入。(5区4県)
- 1995年6月21日 - 南昌県の一部が郊区に編入。(5区4県)
- 1997年9月1日 - 新建県の一部が東湖区に編入。(5区4県)
- 1998年1月5日 - 郊区の一部が青雲譜区に編入。(5区4県)
- 2002年6月6日 - 郊区が青山湖区に改称。(5区4県)
- 2004年9月7日 (5区4県)
- 西湖区・青山湖区の各一部が東湖区に編入。
- 青山湖区の一部が西湖区に編入。
- 西湖区・青山湖区の各一部が青雲譜区に編入。
- 東湖区・西湖区の各一部が青山湖区に編入。
- 2014年9月1日 - 青山湖区の一部が東湖区に編入。(5区4県)
- 2015年7月23日 - 新建県が区制施行し、新建区となる。(6区3県)
- 2016年3月15日 - 新建区の一部が東湖区に編入。(6区3県)
- 2019年12月13日 (6区3県)
- 湾里区が新建区に編入。
- 東湖区・新建区の各一部が合併し、紅谷灘区が発足。
- 2021年12月24日 - 新建区の一部が紅谷灘区に編入。(6区3県)
- 2022年6月27日 - 新建区の一部が紅谷灘区に編入。(6区3県)
南昌専区
経済

南昌は江西省最大の工業都市であり、新中国最初の飛行機、最初のトラクター、最初のオートバイ、最初のミサイルがこの地で誕生した。改革開放以来、飛行機製造、自動車製造、冶金、電機、紡績、化学工業、医薬品などの工業が発達し、情報産業やバイオテクノロジーなどの新産業も興っている。
金融業では華中地域の中心の一つでもあり、近年では紅谷灘中央商務区(CBD)の建設を進めている。
観光



気候
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交通

航空

鉄道

道路
- 高速道路
- 国道
- G105国道
- G316国道
- G320国道

教育
- 南昌大学
- 江西大学(1993年南昌大学に併合)
- 江西工業大学(1993年南昌大学に併合)
- 江西師範大学
- 南昌航空大学
- 江西財経大学
- 東華理工大学
- 江西医学院
- 江西中医学院
- 江西農業大学
- 江西教育学院
- 華東交通大学
- 江西外語外貿学院
- 南昌水利水力発電専門学校
- 江西経済管理幹部学院
- 江西警察学院
- 江西科技師範学院
- 南昌図書館

健康・医療・衛生
ゆかりのある人物
友好都市
脚注
外部リンク
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