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南豆馬車鉄道

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南豆馬車鉄道(なんずばしゃてつどう)は、かつて静岡県に存在した馬車鉄道

概要 南豆馬車鉄道, 概要 ...
さらに見る 停車場・施設・接続路線(廃止当時) ...
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沿革

1917年7月28日に発起人小川隆太郎他35名に対し静岡県賀茂郡稲生沢村より下田町にいたる馬車軌道の敷設特許状が下付された。この馬車鉄道は稲生沢村の久原鉱業河津鉱業所(蓮台寺金山ともいう)から下田港桟橋まで金鉱石を輸送することを目的としており、株式の70%は久原鉱業が保有していた。1918年9月に開業し、鉱石輸送を主としていたが旅客輸送もしていた。路線の大半は稲生沢川に沿っていた。

1927年に昭和バス[1]が蓮台寺-下田間に定期バスを運行するようになると徐々に影響を受け1933年2月に旅客営業を休止し、1936年1月正式に廃止となり貨物輸送専用になった[2]。その後戦時下になると1943年金銀鉱山における企業整備により採掘は休止となり馬車鉄道も運行を休止した。戦後鉱山の再開とともに運行を開始したが採掘量も少ないため鉱物輸送はトラックに切り替えられ馬車鉄道はまた休止されることになった[注 1]。このため会社は旅館業に進出することになり南豆鉄道興業に社名変更をしたが1954年には東海観光株式会社に株式を取得されることになり経営陣も一新された。さらに保有していた軌道敷設特許権について運輸省から再開の意思が無ければ整理するよう勧められたので1957年4月に廃止手続きが完了した。廃線敷は下田温泉会社が購入し温泉用のパイプラインが敷設されている。

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路線データ

輸送・収支実績

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  • 鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版

車両・運行形態

脚注

参考文献

関連項目

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