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南部広信
江戸時代中期の大名 ウィキペディアから
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南部 広信(なんぶ ひろのぶ)は、江戸時代中期の大名。陸奥国八戸藩の第4代藩主。官位は従五位下・甲斐守。
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略歴
第3代藩主・南部通信の長男として誕生。母は桂七郎大夫の妹。幼名は宮内。
享保元年(1716年)、父の死去により跡を継いだ。藩政においては検地を行なったり、八戸三社大祭の基礎を作ったりした。また、家老の中里幸生に命じて「南部中興記三冊」や「南部家譜一冊」を編纂させている。
しかしその治世期に凶作が33度にわたって発生するなど、治世は多難を極めた。寛保元年(1741年)5月2日、33歳で死去し、跡を嫡男・信興が継いだ。墓所は東京都港区芝の金地院。
系譜
父母
- 南部通信(父)
- 桂七郎大夫の妹 ー 側室(母)
正室
- 秀子 ー 松平信庸の娘
子女
- 南部信興(長男)
- 南部信之(三男)
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