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古沢初美
1985年のミス・ユニバース日本代表 ウィキペディアから
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古沢 初美(ふるさわ はつみ)は1985年(昭和60年)のミス・ユニバース日本代表である。
来歴・人物
大阪府豊中市出身。「20歳の記念に」憧れていたミス・ユニバース日本大会の近畿地区予選に出場して代表となったが、最初は母親が自分の名で応募したという[1]。1985年3月29日、大阪市のザ・シンフォニーホールで開かれた大会で代表に選出された[2]。当時は茨木市の梅花女子大学文学部英米文学科の二年生(すぐに三年生となった)であり、テニスと水泳、編み物が得意であった。高校二年の時にアメリカでホームステイをした経験があり、英会話にも不安は無かった[3]。身長166センチメートル(cm)、体重53キログラム(kg)[2]。歴代の日本代表と比べて小柄であり「運がよかったんです。私の取り柄は健康と笑顔」と語っているが[1]、スリーサイズは92-60-90 cmと歴代屈指のプロポーションを有し、とりわけバストラインの美しさはボンドガールにもひけをとらないと評された[3]。しかし古沢は堅実な考えの持ち主でもあり、将来は英語の教師になりたいと語っていた[4]。
古沢は同年6月23日に大阪国際空港を発ち[3]、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミで開かれたミス・ユニバース1985世界大会に出場した。高い期待を集めた古沢だったが、7月15日(日本時間16日)の本選ではセミファイナルに選出されず、入賞とはならなかった。1986年(昭和61年)3月に日本代表の任期を終えた古沢は、芸能界など華やかな世界に入ることは無かった。古沢の後を継いで1986年の日本代表となった江崎普子は岐阜市の高校生だったが、4月には梅花女子大学に進学し、古沢と大学生活を共にすることになった[5]。
なお、当時一部のメディアで古沢の92cmのバストを「歴代No.1」と伝えたものが存在するが、このサイズは1959年(昭和34年)に世界一となった児島明子(日本大会では97cm、世界大会で94cm)に及ばない[1]。
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脚注
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