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周幽斎夏龍
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来歴
師系・経歴不明。その作のひとつ「物思う女」(笑む女図)には「西肥栄城 周幽斎夏龍戯画」の落款があり、「西肥」とは「肥の国」の西部すなわち肥前国の事、「栄城」(さかえじょう)とは佐賀城を指す。このことから佐賀藩家中の者だったと見られるが、それ以外の俗名をはじめとする閲歴については明らかではない。作は肉筆画が数点知られ、美人画には喜多川歌麿の影響が指摘されている。『肉筆浮世絵』第十巻(集英社)はこの夏龍について、「職業絵師とは思われず、美人画を好み描画の素養のある人」と評している。一方、「耕織図屏風」は狩野派風で、浮世絵師というより狩野派に学んだ画家との評もある[1]。地元の画家ということもあり、佐賀県立博物館が積極的に夏龍作品を収集している。
作品
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脚注
参考文献
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