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喜多川歌麿 (2代目)

江戸時代後期の戯作者、浮世絵師 ウィキペディアから

喜多川歌麿 (2代目)
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二代目 喜多川歌麿(にだいめ きたがわ うたまろ、生没年不詳)とは、江戸時代後期の戯作者浮世絵師

概要 性別, 国籍 ...

来歴

恋川春町の門人、後に初代喜多川歌麿の門人となる。通称は小川市太郎(または北川鉄五郎とも)といった。李庭亭幸町、雪町、梅雅堂などと号す。初めは戯作者の恋川春町に戯作の師事を受ける。師の春町の没後二代目春町を称し、戯作者として寛政7年(1795年)に2種の黄表紙を執筆している。その後に歌麿の門人となり、文化3年(1806年)に歌麿が没すると、その妻に入夫して二代目歌麿を称したという。絵師としては版本の挿絵や大判錦絵を手がけた。その画風が晩年の初代歌麿の作品と極めて似ているので「歌麿」落款の錦絵、肉筆浮世絵ともに見間違いやすいが、極め印が文化3年9月以降のものについては二代目歌麿の作として見分けられる。活動期は天保2年(1831年)に二代目春町の名で戯作本を出しているのが最下限であり、このころまで存命だったと見られる。弟子に盛岡藩士の田口森蔭(藤長)など。

石田泰弘は二代目歌麿の複数説を唱えている。[1]

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作品

脚注

参考文献

関連項目

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