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国鉄ワム1形貨車

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国鉄ワム1形貨車(こくてつワム1がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍した有蓋貨車である。

概要 基本情報, 車種 ...
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概要

要約
視点

ワム1形は、鉄道院・鉄道省が製作した、15トン積み二軸車有蓋車で、1928年(昭和3年)の車両称号規程改正により、ワム19780形およびワム23000形(初代)を改番したものである。この改番により、1,666両が本形式となったほか、佐久鉄道芸備鉄道宇部鉄道鶴見臨港鉄道豊川鉄道飯山鉄道北海道鐵道胆振縦貫鉄道からの買収編入車と二車現存の書き換えが10両あり、最終番号はワム1787である。

本形式は、鉄道国有化後の標準形式となり、列車重量や長さを規定する換算両数の基準となった。

ワ19780形(ワム19780形)

ワ19780形は、1914年(大正3年)に100両(ワ19780 - ワ19879)が製造された、14トン積みの有蓋車である。軍馬の輸送に適した車体高さを持った貨車(6頭積載可能)として馬を繋いでおく馬環も設けられ、記号「ム(務馬=ムマのム)」を付すことになり、翌1915年(大正4年)にワム19780形に改称された。この記号「ム」は、1928年の車両称号規程改正時に14 - 16トン積みの貨車を表す記号として流用され、重量記号「ム・ラ・サ・キ」の元となった。

また、積載荷重は後年、次級ワム32000形と同じ15トン積みに変更されている。

車体は、鋼製の柱を車体外部に立て、側板として木板を横羽目としたもので、側面には、幅1,370 mm荷役用片引き扉が設けられている。引き戸は木製であったが、後に木製から鋼製に交換されたものもある。側板には、後年、補強として鋼板の筋交いが設けられたものが多かった。床と屋根は木製である。妻面上部には、1個の通風器が設置されている。

台枠は、前級から引き続いて鋼製である。軸ばねの支持装置は、(一段)リンク式であったが、ばねの折損事故が相次いだため、後年シュー式にグレードダウンされたものがある。次級ワム32000形(後のワム3500形)の車軸が長軸であるのに対し、本形式は10トン短軸であることが大きな違いとなっている。最高速度は65 km/h である。

諸元については、全長7,830 mm、全幅2,565 mm、全高3,734 mm、容積36.3 m3、軸距は3,962 mm、自重は6.4 t - 8.8 tである。

ワム23000形

ワム23000形は、ワム19780形の改良型として、1915年(大正4年)から1917年(大正6年)にかけて1,600両(ワム23000 - ワム24599)が製造された鉄道院初の15トン積み二軸有蓋車である。基本構造はワム19780形と同様であるが、幅を2,740 mmとして、容積を38.7 m3に増している。自重は6.7 t - 9.0 t である。

1928年車両称号規程改正後

1928年(昭和3年)車両称号規程改正時には、ワム19780形97両(ワム19780 - ワム19820、ワム19822 - ワム19827、ワム19829 - ワム19841、ワム19843 - ワム19879)、ワム23000形1,569両(ワム23000 - ワム24599、31両欠)がワム1形とされた。

本形式は、汎用有蓋車として全国で使用されたが、1956年(昭和31年)頃から老朽化のため本格的に廃車が始まった。経年が高いことから1968年(昭和43年)10月1日ダイヤ改正にともなう高速化(最高速度75 km/h 対応)改造の対象から外され、同年度までに形式消滅した。

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形式間改造

要約
視点

トム3400形

トム3400形は、1945年(昭和20年)に本形式を改造した15 t 積み無蓋車で、2両(トム3400, トム3401)が在籍した。しかし早くも5年後の1950年(昭和25年)に「第二次貨車特別廃車」の対象形式となり5月20日に通達「車工第376号」により告示された(この時点で在籍車1両であった)。同年に廃車となり形式消滅した。

サ1形

サ1形は、事業用となっていたワム1形13両を1953年(昭和28年)の称号規程改正の際に、正式に工作車に区分類別(サ1 - サ13)したものである。その後4両(サ14 - サ17)が、1955年(昭和30年度)に追加改造され、合計17両(サ1 - サ17)が本形式となったが、1972年(昭和47年)に形式消滅した。

改造後改造前改造後
常備駅
廃車年月日改造後改造前改造後
常備駅
廃車年月日
サ1ワム233旭川駅サ11ワム1121小倉駅1958年(昭和33年)10月1日
サ2ワム337長崎駅1961年(昭和36年)3月31日サ12ワム1565小倉駅1958年(昭和33年)6月20日
サ3ワム413熊本駅1959年(昭和34年)6月16日サ13ワム1628五稜郭駅
サ4ワム551鳥栖駅1960年(昭和35年)3月31日サ14ワム58静岡駅1965年(昭和40年)6月26日
サ5ワム567青森駅サ15ワム652函館駅
サ6ワム722旭川駅サ16ワム866塩尻駅1959年(昭和34年)12月21日
サ7ワム885長野駅1959年(昭和34年)12月16日サ17ワム894塩尻駅1958年(昭和33年)8月20日
サ8ワム922五稜郭駅1962年(昭和37年)2月27日
サ9ワム1052静岡駅1964年(昭和39年)8月17日
サ10ワム1114鹿児島駅1958年(昭和33年)4月15日

エ1形

エ1形は、事業用となっていたワム1形204両を1953年(昭和28年)の称号規程改正の際に、正式に救援車に区分類別(エ1 - エ204)したものである。その後1955年(昭和30年度)より18両(エ205 - エ222)が、同じくワム1形より追加改造され合計222両(エ1 - エ222)が本形式となった。改造より早くも2年後の1955年(昭和30年)から廃車が始まり、1972年(昭和47年)に形式消滅した。

改造後改造前改造後
配置局
改造後改造前改造後
配置局
改造後改造前改造後
配置局
エ1ワム1仙台エ75ワム886札幌エ149ワム1423長野
エ2ワム9静岡エ76ワム889門司エ150ワム1435新潟
エ3ワム12青函エ77ワム896東京エ151ワム1442仙台
エ4ワム14高崎エ78ワム902天王寺エ152ワム1419門司
エ5ワム15東京エ79ワム909青函エ153ワム1461秋田
エ6ワム48東京エ80ワム917鹿児島エ154ワム1464門司
エ7ワム67門司エ81ワム927新潟エ155ワム1468長野
エ8ワム87門司エ82ワム928岡山エ156ワム1474門司
エ9ワム91東京エ83ワム934門司エ157ワム1480門司
エ10ワム100熊本エ84ワム935長野エ158ワム1488札幌
エ11ワム104仙台エ85ワム949門司エ159ワム1492門司
エ12ワム105高崎エ86ワム950千葉エ160ワム1500門司
エ13ワム114千葉エ87ワム955長野エ161ワム1510長野
エ14ワム119名古屋エ88ワム959札幌エ162ワム1513天王寺
エ15ワム128米子エ89ワム965広島エ163ワム1514門司
エ16ワム133仙台エ90ワム970盛岡エ164ワム1516長野
エ17ワム155熊本エ91ワム982秋田エ165ワム1520長野
エ18ワム176札幌エ92ワム983四国エ166ワム1522長野
エ19ワム197門司エ93ワム989天王寺エ167ワム1528新潟
エ20ワム199名古屋エ94ワム998新潟エ168ワム1529米子
エ21ワム200仙台エ95ワム1004大阪エ169ワム1532天王寺
エ22ワム205岡山エ96ワム1017東京エ170ワム1540門司
エ23ワム208東京エ97ワム1026長野エ171ワム1545仙台
エ24ワム210門司エ98ワム1059岡山エ172ワム1549門司
エ25ワム229長野エ99ワム1065札幌エ173ワム1551旭川
エ26ワム230長野エ100ワム1068仙台エ174ワム1553盛岡
エ27ワム273門司エ101ワム1088秋田エ175ワム1555旭川
エ28ワム277盛岡エ102ワム1116米子エ176ワム1559長野
エ29ワム283大分エ103ワム1125秋田エ177ワム1560高崎
エ30ワム295仙台エ104ワム1130盛岡エ178ワム1567広島
エ31ワム306札幌エ105ワム1133水戸エ179ワム1583秋田
エ32ワム312札幌エ106ワム1141門司エ180ワム1586札幌
エ33ワム315東京エ107ワム1148高崎エ181ワム1596札幌
エ34ワム316東京エ108ワム1156門司エ182ワム1598広島
エ35ワム327大分エ109ワム1166新潟エ183ワム1600長野
エ36ワム350大分エ110ワム1172天王寺エ184ワム1613新潟
エ37ワム364東京エ111ワム1176大阪エ185ワム1617水戸
エ38ワム373東京エ112ワム1177札幌エ186ワム1618高崎
エ39ワム398天王寺エ113ワム1178米子エ187ワム1623門司
エ40ワム444盛岡エ114ワム1189新潟エ188ワム1631長野
エ41ワム454熊本エ115ワム1191天王寺エ189ワム1634東京
エ42ワム455大阪エ116ワム1196四国エ190ワム1639東京
エ43ワム456盛岡エ117ワム1213新潟エ191ワム1640天王寺
エ44ワム473四国エ118ワム1218門司エ192ワム1657岡山
エ45ワム482大分エ119ワム1219新潟エ193ワム1664天王寺
エ46ワム493門司エ120ワム1226大分エ194ワム1670岡山
エ47ワム500岡山エ121ワム1235鹿児島エ195ワム1674長野
エ48ワム521大阪エ122ワム1237秋田エ196ワム1678門司
エ49ワム527天王寺エ123ワム1250長野エ197ワム1703仙台
エ50ワム542高崎エ124ワム1253千葉エ198ワム1708門司
エ51ワム565門司エ125ワム1257札幌エ199ワム1423札幌
エ52ワム566高崎エ126ワム1261門司エ200ワム1435水戸
エ53ワム578盛岡エ127ワム1267東京エ201ワム1442旭川
エ54ワム588静岡エ128ワム1281天王寺エ202ワム1419天王寺
エ55ワム605東京エ129ワム1294青函エ203ワム1461鹿児島
エ56ワム639盛岡エ130ワム1208鹿児島エ204ワム1464広島
エ57ワム680門司エ131ワム1313新潟エ205ワム32盛岡
エ58ワム686岡山エ132ワム1316岡山エ206ワム304東京
エ59ワム691青函エ133ワム1319門司エ207ワム311東京
エ60ワム695東京エ134ワム1328長野エ208ワム419大阪
エ61ワム696青函エ135ワム1343広島エ209ワム610名古屋
エ62ワム701青函エ136ワム1365東京エ210ワム627米子
エ63ワム723札幌エ137ワム1366四国エ211ワム796新潟
エ64ワム749札幌エ138ワム1370札幌エ212ワム864東京
エ65ワム761札幌エ139ワム1371長野エ213ワム972盛岡
エ66ワム763天王寺エ140ワム1372岡山エ214ワム1020天王寺
エ67ワム773札幌エ141ワム11375新潟エ215ワム1472新潟
エ68ワム782米子エ142ワム1379鹿児島エ216ワム1508盛岡
エ69ワム785釧路エ143ワム1381旭川エ217
エ70ワム806米子エ144ワム1396仙台エ218
エ71ワム817静岡エ145ワム1408門司エ219
エ72ワム839仙台エ146ワム1420岡山エ220
エ73ワム852米子エ147ワム1421米子エ221
エ74ワム884熊本エ148ワム1422米子エ222

ポ300形

ポ300形は、1955年(昭和30年)にトキ900形より20両、1956年(昭和31年)に本形式より20両、1957年(昭和32年)に本形式より20両が改造された陶器車で、合計60両(ポ300 - ポ359)が在籍した。改造工事はすべて長野工場にて行われた。外観・性能は、ワ12000形と同じである。1971年(昭和46年)までに全車廃車となった。

ウ500形

ウ500形豚積車の一部は、本形式の改造名義により製作された。1957年(昭和32年)に新津工場にて50両、1958年(昭和33年)に新津工場にて25両、長野工場にて25両の合計100両(ウ500 - ウ599)が改造されている。

いずれも改造に際して軸ばねの支持装置を、(一段)リンク式から二段リンク式へと変更した。

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類型車

本形式は、地方鉄道の勃興期に製造されたことから、私鉄向けの類型車の製造も多い。これら類型車の内、佐久鉄道、芸備鉄道、宇部鉄道、鶴見臨港鉄道、豊川鉄道、飯山鉄道、北海道鐵道、胆振縦貫鉄道からの買収車が、本形式に編入されている。

北海道鉄道ワム1形

北海道鉄道(2代)ワム1形は、1922年(大正11年) - 1926年(大正15年)に9両(ワム1 - ワム9)が日本車輌製造で製造された同形車である。1943年(昭和18年)8月の戦時買収に伴い鉄道省に編入され、ワム1形(ワム1742 - ワム1750)となった。

西武鉄道ワム1形

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西武鉄道 貨車

ワム1形は、15 t 積み木造有蓋車で3両在籍した。 ワム1は1928年(昭和3年)に製作されたの旧西武鉄道ワム101の引継車。ワム2,ワム3は1951年(昭和26年)に国鉄より払下を受けた元国鉄ワム1形。 いずれも短軸を用いた車輪である。

小湊鉄道ワム1形

小湊鉄道ワム1形は、1924年(大正13年)3月に2両(ワム1, ワム2)が東洋車輛で製造された同形車である。

鶴見臨港鉄道ワム3000形

鶴見臨港鉄道ワム3000形は、1926年(大正15年)3月に3両(ワム3001 - ワム3003)が鶴見木工で製造された同形車である。1943年(昭和18年)7月の戦時買収に伴い鉄道省に編入され、ワム1形(ワム1719 - ワム1721)となった。

胆振鉄道ワム1形

胆振鉄道ワム1形は、1928年(昭和3年)の開業時に1両(ワム1)が日本車輌製造東京支店で製造された同形車である。製造時は空気ブレーキは装備していなかったが、1932年(昭和7年)2月に取り付けられた。1941年(昭和16年)の胆振縦貫鉄道合併時には、ワム3と改番されている。1944年(昭和19年)7月の戦時買収に伴い鉄道省に編入され、ワム1形(ワム1770)となった。

津軽鉄道ワム1形

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津軽鉄道ワム3

津軽鉄道ワム1形は、開業に際して1929年(昭和4年)に6両(ワム1 - ワム6)が日本車輌製造で製造された同形車である。国鉄直通車として使用された。2012年現在、ワム5が現存している。

大井川鉄道ワム1形

大井川鉄道ワム1形は、1930年(昭和5年)に1両(ワム1)が日本車輌製造で製造された同形車である。

羽幌炭礦鉄道ワム200形

羽幌炭礦鉄道ワム200形は、1943年(昭和18年)の同鉄道開業に際して鉄道省苗穂工場で1両(ワム201)が製造された同形車である。1964年(昭和38年)、鋼体化の上ワブ2(2代)に改造された。

譲渡

私鉄譲渡は多数におよぶが、ここでは文献上で判明するものを記す。

1948年(昭和23年)、2両(ワム124, ワム280)が名古屋鉄道に譲渡され、ワム10000形(ワム10001, ワム10002)となった。日本車輌製造の私有車で国鉄直通車であった。主に名古屋本線神宮前駅鳴海駅間で使用され、1953年(昭和28年)休車、1961年(昭和36年)廃車となった。

1949年(昭和24年)1月、2両(ワム1725, ワム1727)が三井芦別鉄道に譲渡され、ワム2, ワム3となった。

1950年(昭和25年)3月、1両(ワム1003)が上信電気鉄道に譲渡され、ワム1となった。

1951年(昭和26年)9月、1両(ワム1764)が寿都鉄道に譲渡され、ワム250形(ワム251)となった。

1952年(昭和27年)3月、2両(ワム883, ワム1209)が十和田観光電鉄に譲渡され、ワム101, ワム102となった。

1957年(昭和32年)、2両(ワム372, ワム1182)が土佐電気鉄道に譲渡され、ワム1形(ワム1, ワム2)となり、安芸線で使用された。

戦後2両(ワム57, ワム630)が羽後交通に譲渡され、ワム1形(ワム1, ワム2)となった。横荘線で使用された。廃車は、ワム1が1968年(昭和43年)10月、ワム2が1959年(昭和34年)5月。

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参考文献

  • 「昭和28年 車両称号規程改正に伴う新旧番号対照表(貨車)」1972年、「展望車(マイテ)No.1」鉄道友の会東京支部客貨車気動車部会 編
  • 「国鉄貨車形式図集 I」1992年、鉄道史資料保存会ISBN 4-88540-076-7
  • 貨車技術発達史編纂委員会 編「日本の貨車―技術発達史―」2008年、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊
  • 澤内一晃・星良助「北海道の私鉄車両」2016年、北海道新聞社ISBN 978-4-89453-814-6
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