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土御門長淳
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土御門 長淳(つちみかど ながあつ、生年不詳 - 嘉吉元年(1441年)7月)は、室町時代の公家。初名は嗣光。権大納言・土御門資家の子。官位は従四位下・右中弁。
経歴
永享元年(1429年)権右少弁および五位蔵人に任ぜられる。永享4年(1432年)嗣光から長淳に改名。のち、永享9年(1437年)権右中弁、永享11年(1439年)右中弁、永享12年(1440年)従四位下と弁官を務めながら昇進を重ねた。
嘉吉元年(1441年)3月に蔵人頭に補せられる。7月に長淳が出家して唐橋在豊の子を猶子に迎えて家督を譲ろうとしたところ、宗家の日野家を初めとする一門の諸家が菅原氏系の唐橋家からの猶子に反対され、朝廷の議論は紛糾して室町幕府もこれに介入する。最終的に、後花園天皇の勅裁によって6か所の所領全てを没収され、1か所のみ唐橋在豊の子に与えられ、残り5か所は中御門家・四辻家(ただし、洞院家と所領交換される)などに5分割する処分を受け、土御門家は絶家させられた[1]。
官歴
『弁官補任』による。
脚注
参考文献
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