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堤定次郎

日本の裁判官、実業家、政治家 ウィキペディアから

堤定次郎
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堤 定次郎(つつみ ていじろう、1868年12月14日(明治元年11月1日) - 1935年昭和10年)8月18日[1])は、日本裁判官検察官内務官僚実業家。官選岩手県知事位階および勲等従四位勲四等

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堤定次郎

経歴

常陸国、後の茨城県真壁郡上野村(現筑西市)出身。堤恵次郎の長男として生まれる。1892年帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補となる[2]

以後、東京区裁判所判事東京地方裁判所検事横浜地方裁判所検事、東京控訴院検事、宮城控訴院検事、函館地方裁判所検事正熊本県事務官警察部長、香川県事務官・内務部長などを歴任[2]

1913年3月、岩手県知事に就任。1914年6月、知事を休職となる[2]。その後、実業界に転じ、安田保善社理事、五十銀行頭取などを務めた[1]。墓所は多磨霊園[3]

著作

  • 『日本手形法要論』明法堂・大倉書店 共同刊行、1893年。
  • 『日本商事会社法要論』明法堂・有斐閣・大倉書店 共同刊行、1893年。
  • 『会社法要論:巻首問題入』興学会、1894年。

脚注

参考文献

ギャラリー

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