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塩田定市

大日本帝国陸軍軍人 ウィキペディアから

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塩田 定市[注釈 1](しおだ ていいち、1886年明治19年)6月17日[1] - 1940年昭和15年)12月20日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将功三級[2]

概要 塩田 定市, 生誕 ...

経歴

1886年(明治19年)に福岡県で生まれた[1]陸軍士官学校第21期、陸軍大学校第31期卒業[1]1933年(昭和8年)に陸軍歩兵大佐進級と同時に徳島連隊区司令官に就任した[2]1935年(昭和10年)に歩兵第47連隊長を経て[2]1937年(昭和12年)に陸軍少将に進級と同時に歩兵第12旅団長に就任した[1][2]

1939年(昭和14年)9月に台湾混成旅団長(第21軍)に転じ[1]日中戦争に出動[1]。第21軍主力と離れ、南寧第5師団と共に行動中、国民党軍15個師以上の攻撃を受け悪戦苦闘したが、第18師団近衛混成旅団の救援により反撃した[1]。同年10月には陸軍中将に進級し[2]賓陽作戦でも戦果を収めた[1]。旅団長在職時に健康が害したことにより[3]1940年(昭和15年)8月に東京湾要塞司令官に就任したが[1]、同年12月20日に死去[1]

脚注

参考文献

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