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塩谷正義

下野国塩谷郡の平安末期の武将 ウィキペディアから

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塩谷 正義(しおのや まさよし)は、下野国塩谷郡平安末期の武将。

概要 凡例塩谷正義, 時代 ...

概要

源姓塩谷氏(堀江氏)の四代目だが、事績は全く伝わっていない。塩谷氏の系図においても、名前と官途があるだけで、事績については何の記述も無い。いつごろ家督を継いだかは不明だが、文治2年(1186年)までは、父惟頼の代であったことが確認出来るので、これ以降に家督を継いだものと考えられる。しかし、嗣子がなく、間もなく弟の朝義が家督を継いでいる。

喜連川塩谷系譜における正義

喜連川塩谷系譜においても、正義は惟頼の子であるが、弟である朝義は、正義の嫡男となっており、頼房、義房という2人の弟がいることになっている。また、源頼朝建久3年(1192年)に征夷大将軍に就任した際、八千町の領地を賜ったとの記述があるが、この時、正義は没しているか、少なくとも隠居して塩谷氏の家督にはなく、これは、事実ではないか、朝義、あるいは塩谷朝業の事績であるものと考えられる。

参考文献

  • 矢板市史
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