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大慈恩寺

西安の寺院 ウィキペディアから

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大慈恩寺(だいじおんじ)は、中国陝西省の古都、西安市南東郊外約4kmにある仏教寺院であり、三蔵法師玄奘ゆかりの寺として知られている。2011年認定の中国の5A級観光地大雁塔・大唐芙蓉園景区」の一部である[1][2]

概要 大慈恩寺, 基本情報 ...
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大慈恩寺と大雁塔

その故地は、朝の都、長安城においては、東南部、左街の晋昌坊に当たる場所であった。

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概要

の大興城にあった無漏寺(一説に浄覚寺)の故地に、648年貞観22年)、皇太子の李治が、亡母(文徳皇后)追善のために建立したのが、大慈恩寺である。その名は「慈母の恩」に由来する。

各地から、良材を集め建てられ、その規模は、子院(塔頭)10数院を擁し、建築物は総数1,897間、公度僧だけで300名という大寺であった。帰朝した玄奘は、本寺の上座となり、寺地北西の翻経院で仏典の漢訳事業に従事した。当寺での、玄奘の訳経活動は、658年顕慶3年)までの11年に及び、合わせて40部余の経典が漢訳された。玄奘の弟子である(窺基)は、師から相承した法相宗を宣教し、「慈恩大師」と呼ばれた。

652年永徽3年)、大雁塔が建立される。当初は、玄奘がインド西域から持参した仏像や経典を収蔵するための塔であった(大雁塔の項を参照)。

唐代半ば以降、大慈恩寺の境内には、大きな戯場があり、俗講や見世物が行われていた。また、牡丹の名所としても知られ、それを詠んだ多くの漢詩が知られ、藤も植えられていた。春には、寺が所有していた南にある通善坊の「杏園」で杏の花が、夏には、寺の南池で蓮の花が咲き、秋には、柿がなり、紅葉につつまれたと伝えられる。

845年会昌5年)の、武宗による会昌の廃仏の時には、大薦福寺西明寺大荘厳寺と共に、廃寺を免れた。

1550年嘉靖29年)に、現在の大慈恩寺が建立されたといわれる。

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主な住僧

  • 玄奘三蔵 (602年-664年)
  • 那提三蔵
  • (632年-682年)
  • 道世
  • 善導 (613年-681年)
  • 慧沼 (648年-714年)
  • 義福
  • 金剛智三蔵 (669年-741年)
  • 牟尼室利三蔵 (?-811年)

脚注

参考文献

関連項目

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