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大日本帝国海軍航空爆弾一覧
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大日本帝国海軍航空爆弾一覧では、第二次世界大戦終了までに大日本帝国海軍が運用した航空爆弾、その他投下兵器を一覧として記載する。

型式と概要
要約
視点

日本海軍では異なる型式の航空爆弾を相当数生産した。これらは3つの主なカテゴリー内部でさらに細分される。
- 陸用爆弾。これは陸上の目標に対して使用される。これらは普通、高品質に造られたものではない単純な筒状弾体に、鋳造の頭部と尾部を鋲接または溶接している。
- 通常爆弾。艦艇に対して使用される。汎用及び半徹甲形式がある。これらは高品質で、通常は鍛鋼によりケースが生産された。
- 特殊爆弾。号数によって用途が指定されており、様々な目標に対して投入された。
日本海軍は建艦競争の不利から航空戦力を重視した。理由は日本が経済・工業力・資源とも貧弱で乏しかった事による。これは海軍の主な公論の一つであり、1912年(明治45年)頃から唱えられ始めた[1]。欧米では全ての目標に使用できる高性能なGP(汎用)爆弾を採用したが、資源に乏しい日本では希少金属はもとより屑鉄でも使用先が限定された。そこで日本海軍では各種爆弾を制定して専用設計を施す必要があった[2]。海軍では通常、交戦の対象は艦艇であるため、装甲板の貫通能力をある程度付与した爆弾が通常爆弾と呼ばれた。こうした爆弾は鋳鋼ではなく高価な鍛鋼により装甲板を貫通できる強度を維持していた。ただし陸用爆弾に比較すると炸薬量が少なく高価である。投下する対象は艦船であるため、生産配備の要求量は比較的少数であった。これに対し、破片を散乱させて人馬を殺傷したり、さほど堅固に装甲されていない陸上施設を破壊するには、炸薬が多く安価な陸用爆弾が投入された。陸用爆弾の弾体には鉄筋コンクリート等を貫通する程度の強度が要求された。炸薬には初期に下瀬火薬、1938年(昭和13年)以降は九八式爆薬を広く用いるようになった。下瀬火薬は感度が高く、自爆防止のため、所定の形に作られた美濃紙の小袋に加熱して鋳込み、これを弾体に詰めた。日本海軍ではこれを成形炸薬と呼んだが、現用のHEATのような意味はない。九八式爆薬は加熱して直接弾体内部に鋳込む「鋳填」を行った。
一般に、航空爆弾の呼称は上から順に「制式採用年式」「全備重量10kgごとを大体の目安として番数で表示」「用途を号数で表示」「通常、陸用を表示」「改良により型式が変更された場合、数字と型を表示」「型式を変えない程度の改良を加えた場合、改と数字を表示」している。「九九式六番二号爆弾改一」は、「九九式(制式年)」「六番(全備重量67.9kg)」「二号爆弾(対潜用途)」「改一(信管を改良)」と表記されている。
日本海軍による最初の爆弾投下試験は1913年(大正2年)6月とする資料がある[1]。この当時には航空機そのものが黎明期であり、欧米においても航空兵装の研究が進んでいる状況ではないことから、八糎砲および十二糎砲の砲弾を改良した爆弾を製造した。1914年11月、これらの砲弾改造爆弾は、青島要塞に対して計199発が水上機から投入された[3]。第一次世界大戦後、日本海軍はイギリス、フランスなどヨーロッパから爆弾を輸入し国産航空兵装の参考とした。ことに強く影響を及ぼしたのはイギリスの航空爆弾と推測される[4]。1925年(大正14年)から1928年(昭和3年)にかけて日本海軍の爆弾の種類が急速に増加した。これらの爆弾の中には試作、実験段階で文書に記載されたものの、後の文書での記載がなく、履歴が確認できないものも多い。通常爆弾の呼称は1927年(昭和2年)9月16日の文書に初出する[5]。また陸用爆弾の分類と呼称は1932年(昭和7年)頃、第一次上海事変中に記載が始まった[6]。昭和初期の爆弾の表記は「二五〇瓩(キログラム)通常爆弾」のように、kgとカテゴリーの表示で行われた。この後、無年式の番数による重量の表記が開始されるが、明確な時期は不明である。ただし少なくとも第一次上海事変の以前に番数による呼称は存在しない[7]。皇紀の下二桁の年式を航空爆弾に表記するようになった明確な時期は不明である。昭和13年(1938年)4月、『空威研究会報告』における爆弾の用途ごとの種類を表記した内容には、「通常」「陸用」「煙」「一号」から「七号」各種が記載された。八号から三三号までの分類と開発は対英米戦の戦訓からの整備着手となった[8]。
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識別塗装


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航空爆弾
要約
視点
生産された爆弾を一部記載。開発・試作兵器など、敗戦時の資料の焼却処分、破棄により概要がつかめないものも多数存在する。
ロケット爆弾
日本海軍ではロケットモーターを内蔵した爆弾を相当数量産した。これらは爆撃機編隊に対する空対空兵器、または艦艇に対する徹甲兵器として企図されたものである。三式二五番四号爆弾、三式六番二七号爆弾、ほか三式一番二八号爆弾などが実戦配備された。
焼夷爆弾
三号爆弾および六号爆弾は、飛行場攻撃用の焼夷弾子を多数放出する爆弾である。第一次大戦後、日本海軍はイギリスから焼夷弾を購入し整備の参考とした。昭和10年頃から陸上攻撃用として開発研究が進められた。昭和7年の上海事変による戦訓ではコンクリート建造物に対する焼夷効果を要求され、その後には飛行場攻撃という必要性も追求された。こうした、焼夷弾による飛行場攻撃の研究過程でクラスター爆弾も考案されるに至った。焼夷剤には黄燐、テルミット、エレクトロン、チオコールテルミットが使用された。テルミットは小粒状の酸化鉄とアルミニウム粉末を3対1で混合し、水ガラスで固化した。アルミ粉末は火薬により点火、酸化鉄は酸素を供給する。燃焼温度は2,000度に達した。エレクトロンはマグネシウム95%、アルミニウム、亜鉛を混合した合金で、焼夷弾の弾体に用いられる。チオコールテルミットのチオコールとは多硫化系人造ゴムの商標である。
反跳爆弾
海軍では1943年(昭和18年)末から八号として研究開始された。陸用爆弾改造型と通常爆弾改造型が存在する。大規模投入に至らなかった背景として軍事研究者兵頭二十八は、重巡以上の舷側装甲の破壊には威力不足であること、信管の信頼性、弾体の強度不足があったと推測する[35]。また機体の防弾の欠如、爆撃方法、生残性を考慮し、特攻が選択されたとも推測している[36]。
- 三式二五番八号爆弾 - 全重280kg、炸薬120kg。資料により数値が異なる。反跳距離150mから250m。作動秒時を遅延させた信管が取り付けられた。
- 四式五〇番八号爆弾 - 1945年(昭和20年)5月の段階で文書に記載された。諸元詳細不明。
- 三式八〇番八号爆弾 - 全重850kg、炸薬400kg、反跳距離は150mから300m。陸用爆弾改造型では炸薬382kg、通常爆弾改造型では炸薬320.3kgとする資料もある。日本海軍ではこの爆弾を以下のように命中させようと企図した。海面上高度10mから20mを飛行し投下する。爆弾は150mから250m先の標的へ弾頭を向けながら反跳を続け、高度10m以下の舷側に命中する。試験において尾部の大規模な強化が必要と判定され、また反跳時に弾頭が激しくブレたことが報告された。
化兵爆弾
化学兵器を使用した爆弾である。日本海軍では砲弾による実射試験と防毒試験が行われた。四〇糎九一式徹甲弾にも着脱式特薬缶の装填スペースが考慮されている。爆弾としては第一次上海事変後に本格製造が開始された。ルイサイトは1936年(昭和11年)に量産化に成功したものの後に使用が廃止された。そのほかイペリット、催涙ガス、くしゃみ剤、青酸ガス等が整備された。1938年(昭和13年)3月『空威研究会報告』にて一号爆弾が策定された。
- 三番一号爆弾 - 1938年(昭和13年)の書類中に記載。当初は通常爆弾として対艦艇用を企図していた。その後、目的は飛行場攻撃用へ移行した。1943年(昭和18年)8月の書類ではラバウル基地に26発配備と記載された。
- 六番一号爆弾 - 1935年(昭和10年)頃に研究開始、1936年(昭和11年)に制式化された。全重68.3kg、炸薬に下瀬火薬または九八式爆薬2.3kgを使用。薬剤として致死性と糜爛効果のある「T剤」を23.6kg充填した。他の資料では三号特薬甲(イペリット)を17.1kg充填した。1943年(昭和18年)8月の書類では百数十発がラバウル基地に配備されていた。有効半径は10m。10万発生産予定され、実際には43,000発が生産された。うち組立に至ったのは1944年(昭和19年)に4,200発、1945年(昭和20年)に600発である。
- 一式六番一号爆弾 - 非致死性の薬剤を充填した制圧用爆弾。全重63.2kg。炸薬5.9kg。充填薬剤はくしゃみ効果を発揮する二号特薬(ジフェニル青化ヒ素)6.7kgである。コンクリート200mmを貫通する能力があった。2,000発製造するも組立は行われなかった。
- 四式六番一号爆弾 - 全重55.5kg、炸薬2.3kg、三号特薬を22kg充填。
生物兵器
1938年(昭和13年)3月『空威研究会報告』にて策定。全重は60kg以下とされた。用途は陸海上に細菌を散布して伝染させ、戦闘力を減殺すること、敵の士気を喪失させることである。整備目標数は実験結果によって決められる予定だった。開発は1942年(昭和17年)の段階で研究中にとどまり、大戦末期になって具体化した可能性がある。
- 四式三番七号爆弾 - 詳細不明。戦争末期に十一号特薬甲/乙を充填するとされた。
クラスター形式の航空爆弾

飛行場攻撃用に考案された。構想は1942年(昭和17年)、ソロモンでの航空戦の戦訓による[37]。1942年(昭和17年)7月14日の書類に飛行場攻撃用のクラスター形式の爆弾について言及があり、その後1943年(昭和18年)1月14日には弾子30個を放出する六番爆弾が製造中と報告された。同年4月の書類では爆弾が実験中と報告され、6月に完了予定と記載された。同年8月1日にはラバウル基地に685発の二式六番二一号爆弾が存在している[38]。
- 二式六番二十一号爆弾一型 - 弾体外形は円筒形である。弾子40個または30個を内蔵。1943年(昭和18年)4月の、高度400mでの投下実験では20%の不発を生じたが、一発の子弾で魚雷艇を大破できた。高度2000m以下では不発率が上昇し、500mで45%の不発を発生したこともあった。ほか、安全性不十分との指摘がなされた。
- 二式六番二十一号爆弾二型 - 弾体外形は六角形である。全重52.5kg。炸薬として九八式爆薬17.6kgを充填し36個の弾子を内蔵する。弾子は瞬発で作動。一型の安全性を向上させた。
- 二式二五番二十一号爆弾一型 - 1943年(昭和18年)1月の時点で製造の報告が記載されている。諸元不明。弾子120個を内蔵する。
演習爆弾
演習爆弾は投下訓練用の消耗品である。1921年(大正10年)、イギリス海軍のセンピル教育団が日本海軍の招来に応じて航空兵力の育成指導にあたり、この際、イギリスで使用されていた訓練用爆弾も導入された。
- 四瓩(キログラム)演習爆弾 - 1924年(大正13年)2月7日制式制定。全長372.6mm、最大径88.8mm。鉄製である。前方が脹れて大きいナス型の形状を持ち、尾部に尾翼を持つ。また、尾部後端に発煙筒をねじ込み式に装着した。発煙剤は無水四塩化錫450gを使用した。起爆装置は尾部に瞬発信管を持つ。高度1,000m以上、速度100ノット以上で使用すると弾道性に狂いが生じた。
- 四瓩演習爆弾一型 - 四瓩演習爆弾C型を1927年(昭和2年)9月21日に改称。
- 四瓩演習爆弾一型改一
- 四瓩演習爆弾二型 - 四瓩演習爆弾一型(陸用)を1927年(昭和2年)9月21日に改称。
- 一瓩演習爆弾 - 四瓩演習爆弾の弾道性を改善した純国産品。前方が脹れて大きいナス型の形状を持つ。弾体に各種の色を発煙する発煙剤を内蔵する。軽量化のため高度2,000m以上で弾道に狂いが生じた。
- 一瓩演習爆弾改二 - 発煙剤に黄燐を使用した。
- 一瓩演習爆弾改三 - 危険防止のため黄燐を赤燐に換装した。
- 三〇瓩演習爆弾一型
- 三〇瓩演習爆弾二型
- 五〇〇瓩演習爆弾二型
- 九九式三番演習爆弾 - 弾道性を重視した演習爆弾。形状は砲弾型で材質はガラス製。全備重量34.630kg、炸薬85g、発煙剤に四塩化チタン1kgを使用した。内部にはコンクリートを充填した。
- 九九式一番演習爆弾 - 九九式三番演習爆弾の縮小型。
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信管・発火装置
要約
視点
日本側の信管・発火装置呼称体系は第二次世界大戦終了まで連合軍側に把握されていなかった。結果、信管の呼称体系が補助として連合軍側により作製された。これは大文字、数字、及び括弧付きの小文字で構成されるものである。一覧では日本側資料により確認できる信管と発火装置を記載する。
日本軍の爆弾は弾頭、または弾頭と尾部に、発火装置と信管を装着する型式が多かった。発火装置には、投下の際に風圧を受けて回転する小型の風車が付けられており、所定の時間回転すると安全装置を解除する。信管は衝撃により起爆し、爆弾本体に充填された爆薬を炸裂させる。日本海軍の爆弾に多用された九八式爆薬は感度が鈍感であり、口径20mmまでの銃弾の直撃程度では発火しなかった[14]。

- 一五式
- 一五式通常爆弾信管[39]
- 一五式弾底発火装置[39]
- 一五式弾底発火装置一型改二[40]
- 一五式弾底発火装置一型改三[40]
- 一五式弾底発火装置二型改一[40]
- 一五式弾底発火装置二型改二[40]
- 一五式弾底発火装置二型改三[40]
- 九一式
- 九一式煙爆弾一型[41]
九二式
- 九六式
- 九七式
- 九七式陸用爆弾信管甲[39] 遅延秒時0.03秒[43]。
- 九七式陸用爆弾信管乙[39]
- 九七式弾頭発火装置一型改一[40]
- 九七式弾頭発火装置二型改一[44]
- 九七式二号弾頭発火装置[39]
- 九七式二号弾頭発火装置一型[40]
- 九七式二号弾頭発火装置二型[40]
- 九七式二号弾頭発火装置二型改一[40]
- 九七式弾底起爆装置[44]
- 九七式投下爆管改一[40]
- 九七式投下爆管改二[40]
- 九八式
- 九九式
- 九九式特殊弾頭発火装置 - 火薬式時限信管。二三号爆弾用[46]。
- 九九式通常爆弾信管甲[39]
- 九九式通常爆弾信管乙[39]
- 九九式通常爆弾信管丙[47]
- 九九式二五番通常爆弾信管甲[44]
- 九九式二五番通常爆弾信管丙[44]
- 九九式二五番通常爆弾弾底発火装置[39]
- 九九式三号爆弾信管改一[40]
- 九九式三号爆弾信管改二[40]
- 九九式三号爆弾発火装置[39]
- 九九式三号爆弾発火装置改一[40]
- 九九式五号発火装置[48]

- 零式
- 零式五号爆弾信管[49]
- 一式
- 仮称一式二号爆弾信管[39] - 対潜用、遅動1.8秒[50]。
- 一式二号爆弾信管甲改一[39] - 対潜用、遅動3.5秒[50]。
- 一式二号爆弾信管乙[39]
- 一式二号爆弾信管乙改一[39] - 対潜用、遅動10秒[50]。
- 一式二号爆弾信管丙改一[44] - 対潜用、遅動16秒[50]。
- 一式弾頭発火装置二型[51]
- 一式弾頭発火装置二型改一[40]
- 二式
- 三式
- 三式点火装置一型 - 二一号爆弾用[52]。
- 三式二号弾頭発火装置[40]
- 三式二号弾底発火装置[40]
- 三式九号爆弾信管乙 - 試作のみ[53]。
- 三式九号爆弾信管丙 - 試作のみ[53]。
- 三式二五番通常爆弾弾底発火装置[28]
- 三式二七号爆弾信管[54] 瞬発。
- 三式二七号爆弾発火装置一型[55]
- 三式二八号爆弾信管二型[56]
- 三式電気爆弾信管 - 三一号爆弾用[57]。
- 三式電気発火装置 - 三一号爆弾用[57]。
- 四式
- その他
- 演習爆弾信管[39]
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火工兵器
- 零式吊光照明弾発火装置[39]
- 発煙筒弾
- 発煙筒弾改四[40]
- 航法目標灯
- 航法目標弾
- 零式航法目標弾[39]
- 着水照明炬[44]
- 九六式着水照明炬[39]
- 吊光照明弾[44]
- 零式吊光照明弾[39]
- 吊光信号弾[44]
- 零式吊光信号弾[40]
- 吊光投弾[39]
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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