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大瀬海軍望楼
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大瀬海軍望楼(おおせかいぐんぼうろう)は、五島列島福江島西端の大瀬崎にあった旧帝国海軍の海軍望楼。正式名称は大瀬海軍望楼であるが(設置時は海岸望楼)[1][2][3]、当施設も大瀬崎海軍望楼として紹介されることもある[4]。
歴史
日清戦争直後の1894年(明治27年)8月4日に全国13か所に設置された海岸望楼の一つである[2]。翌々日の8月6日には海岸望楼軍事通信規定が制定された[2]。
1898年(明治31年)には大瀬山の山頂に無線電信機を備えた高さ80メートルの無線方位信号所の鉄塔が建設された[5]。
1900年(明治33年)5月の海軍望楼条例の施行により、従来の海岸望楼は海軍望楼に改称[2]。
1902年(明治35年)3月21日に公衆電報取扱開始[2]。1903年(明治36年)には当時最先端の無線機が導入された[3]。
日露戦争(日本海海戦)時の1905年(明治38年)にはバルチック艦隊を発見した哨戒中の信濃丸が発した「敵艦見ゆ」の第一報を真っ先に受信した[3][5]。
1908年(明治41年)6月30日に公衆電報取扱廃止[2]。翌7月1日に逓信省に移管されて大瀬崎無線電信局となった[2]。
大瀬崎無線方位信号所については1992年(平成4年)11月30日に業務を終了し、鉄塔は解体された[5]。
2025年(令和7年)には日本海海戦での「敵艦見ゆ」の無線信号受信から120年を記念して、長崎県五島市玉之浦町の大瀬海軍望楼跡に記念碑が新たに建立された[3]。
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脚注
関連項目
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