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大矢田宿禰

神功皇后の三韓征伐に従って新羅に渡った豪族 ウィキペディアから

大矢田宿禰
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大矢田宿禰(おおやたのすくね、生没年不詳)は、古墳時代豪族

概要 凡例大矢田宿禰命, 時代 ...

概要

孝昭天皇の4彦国葺命の孫であり、建振熊命の子であるとされる。

新撰姓氏録』によると、神功皇后三韓征伐に従って新羅討ったとされる。その後は新羅に留まり、鎮守将軍となって、新羅王猶榻の女を娶り、佐久命と武義命という兄弟もうけた

佐久命の9世孫の和珥部臣鳥務大肆・忍勝は来日し、近江国志賀郡真野村居住したため、天智天皇庚寅年(670年)に真野臣を名乗ったという[2]

なお、浅間大社社家の富士氏に伝来した系図によれば、前述の和珥部臣鳥は真野臣を名乗らず、その曾孫の外正六位下富士郡大領和邇部富麿が富士氏の祖となったという[1]

脚注

関連項目

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