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大石正彦

日本の元プロ野球選手・コーチ ウィキペディアから

大石正彦
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大石 正彦(おおいし まさひこ、1936年1月11日 - )は、山梨県甲府市[1]出身の元プロ野球選手投手)・コーチ

概要 基本情報, 国籍 ...

1960年大洋V1戦士の一人。

弟の大石勝彦も同じように甲府商業から大洋に入団した元プロ野球選手[1]

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来歴・人物

甲府商業時代はエースで6番打者として活躍し、2年次の1952年には夏の山静大会決勝戦で矢頭高雄-西村一孔がバッテリーを組んでいた都留高と対戦。延長21回の末2-1で敗れ、甲子園出場はならなかった[1]。卒業後の1954年に洋松ロビンスへ入団[1]。1年目の同年から一軍で活躍するも、当時の大洋は万年最下位で負け数も多く、1956年には22敗を喫する。1960年には先発リリーフで活躍し、大洋初優勝に貢献。大毎との日本シリーズでも好投した。当初は巨人戦に弱く、1955年から1959年にかけて17連敗を喫する。これは2018年現在でも日本プロ野球における投手の同一カード最多連敗記録である[2]。1960年の大洋初優勝時には好投した。三原脩監督時代には代走でも起用されるなど脚力があり、7盗塁を記録している。1961年のオフにアキレス腱を切断し、1962年に現役を引退[1]

引退後は大洋で二軍投手コーチ補佐(1963年)、一軍投手コーチ(1964年 - 1965年, 1967年 - 1968年)、二軍投手コーチ(1966年)を歴任[1]。退団後は帰郷し、スポーツ用品店を経営する傍ら、少年野球の指導を行った[1]

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エピソード

  • 球種はカーブ、スライダー、シュート。
  • 通算100敗以上している投手の中で、通算62勝に終わっており、これは小林経旺(46勝110敗)に次いで2番目に少ない勝ち数である[3]

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 洋松(大洋松竹ロビンス)は、1955年に大洋(大洋ホエールズ)に球団名を変更

記録

  • 連続打席無安打:57 (1955年)※2021年佐藤輝明に更新されるまではセ・リーグ記録、現在はセ・リーグ投手記録

背番号

  • 45 (1954年)
  • 14 (1955年 - 1962年)
  • 31 (1963年 - 1968年)

関連項目

脚注

外部リンク

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