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太田資言
日本の侍 (1769-1810) ウィキペディアから
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太田 資言(おおた すけとき)は、江戸時代後期の大名。遠江国掛川藩4代藩主。通称は洋之進。官位は従五位下・備後守。掛川藩太田家8代。
略歴
2代藩主・太田資愛の四男。母は側室と言われている。正室は牧野忠精の娘。
先代藩主の兄・資順の養嗣子となり、文化5年(1808年)の資順の死去により跡を継いだ。しかし2年後の文化7年(1810年)6月2日(または6月17日)に29歳で死去し、跡を娘婿で養嗣子の資始が継いだ。
系譜
父母
正室
- 牧野忠精の娘
子女
- 太田資始正室
養子
脚注
外部リンク
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