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宍戸功男

日本の陸軍軍人・政治家 ウィキペディアから

宍戸功男
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宍戸 功男(ししど いさお、1885年明治18年)7月21日[1] - 1951年昭和26年)5月3日[2][注釈 1])は、日本陸軍軍人政治家華族。最終階級は陸軍騎兵大佐貴族院子爵議員。旧姓・毛利[1]

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宍戸功男

経歴

東京府子爵毛利元功の五男として生まれ、子爵・宍戸璣の養子となる[1]。養父の死去に伴い1901年(明治34年)12月28日、子爵を襲爵した[1][3]

陸軍士官学校(19期)に入り[4]1907年(明治40年)5月31日に卒業し[5]、同年12月26日、騎兵少尉に任官[2][6]。以後、近衛騎兵連隊中隊長、騎兵第18連隊長、陸軍士官学校馬術教官、陸軍大学校馬術教官などを歴任[2][7]1934年(昭和9年)騎兵大佐に昇進し予備役に編入された[2][7]

1941年(昭和16年)4月12日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[8][9]研究会に所属して活動し[2]1946年(昭和21年)3月12日に辞職した[10][11]。その他、拓務大臣秘書官逓信大臣秘書官、東洋拓殖嘱託、内閣委員、大東亜省委員などを務めた[2][7]

親族

  • 妻 宍戸幾子(いくこ、養父四女)[1]
  • 養子 宍戸広慶(実兄毛利元秀二男)[1]

脚注

参考文献

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