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寄合衆内談の事

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寄合衆内談の事(よりあいしゅうないだんのこと)とは、延元3年(1338年)に肥後の豪族菊池武重が制定した起請文である。

背景と作成の経緯

当時は南北朝時代の騒乱時で、菊池氏南朝方であったが、徐々に形勢が北朝方有利に傾きつつあった。他氏でも、一族が敵味方に分かれている例が多数あり、状況の不利を悟って北朝方に降る例も見られた。これらの事態に、自分の死後も菊池一族の結束を守るために制定したものである。

菊池武重起請文

菊池家憲「寄合衆内談の事」は、3ヶ条からなる[1]

寄合衆内談の事

一.天下の大事(対外問題)は寄合衆の議決があったとしても、決定は武重が行う。

二.国務の政道(内政問題)は寄合衆の議決を尊重し、武重が優れた意見を出したとしても、寄合衆の賛同がなければ、武重の意見は捨てること。

三.寄合衆は一致協力して、菊池の郡において畑の開墾を禁じ、山の樹木を繁茂させ、菊池家と仏法が長く栄えることを念願しなければならない。謹んで、八幡大菩薩の御加護を仰ぎ申し上げます。               
延元3年7月25日    藤原武重、[2]

他国との関係を左右する天下の大事(対外問題)は当主が決定するが、国内(菊池氏が治める領地)のことは一族の方針は寄合衆と呼ばれる有力庶子家の合議によるものとし、当主と意見が対立した場合は当主が折れ、その決定には惣領と言えども従わなければならない。

一族の結束のための菊池氏家憲であり、一族が血判をして同意し武重の血判も押されてい。

血判文書としては最古のもので、菊池千本槍とともに現在も熊本県菊池神社熊本県菊池市)に保存され、同神社では武時、武光と共に主祭神として祀っている[3]

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脚注・参考文献

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