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小川喜一 (内務官僚)
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小川 喜一(おがわ きいち、1904年(明治37年)4月5日[1] - 1979年(昭和54年)8月18日[2])は、日本の内務官僚。栃木県知事。
経歴
徳島県出身[3]。京都高等蚕糸学校を卒業。1927年、京都帝国大学農学部農林経済科を卒業。同年12月、高等試験行政科試験に合格。京都帝大で勤務し、1928年、内務省に転じ茨城県属となる[4]。
福井県書記官・警察部長、警視庁警務部長、広島県部長・警察部長などを務め[5]、1946年1月、栃木県知事となり、1947年3月、初の公選知事選に出馬のため知事を辞任するが次点で落選した[3]。
1955年2月、日本社会党の支援を受けて二度目の知事選出馬で当選を果たした。任期の後半は少数与党のため困難な議会運営を強いられた。川俣ダム・川治第二発電所の建設促進、東北本線宇都宮-大宮間の電化促進、教職員の勤務評定実施、県民室開設などの施策を推進した。1959年2月の知事選で落選[3]。1979年8月18日死去、75歳。
脚注
参考文献
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