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小林一喜
日本のジャーナリスト ウィキペディアから
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小林 一喜(こばやし かずよし、1934年(昭和9年)4月10日 - 1991年(平成3年)2月19日)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞編集委員、ニュースステーションコメンテーター。栃木県出身。
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来歴・人物
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エピソード
ニュースステーションのスタートに際し、小林にコメンテーターの白羽の矢を立てたのはテレビ朝日の小田久栄門だった[2]。コメンテーター役を選ぶにあたって、まず朝日新聞社長の中江利忠から経歴や写真、当人の書いたものなどを見せてもらい、数十人の候補者のなかから5人に絞ったが、そこから先がなかなか進まなかった[2]。そこで、小田は中江に本物の人物を見せてくださいと頼んで、論説室や編集委員室にされげなく足を運び、狙いをつけたのが小林だった[2]。久米の軽さとバランスが取れる重みのある人物、ある程度マスクがよく、論説口調でなく端的に短く、歯切れよく喋れる人という点から見て、小林はピッタリの人物だった[2]。小田が「小林さんをほしい」と言うと、中江も「私も彼を推薦しようと思っていた」と言い、スパッと決まった[2]。
愛称は「ピンキーさん」。久米はしばしば「こばやしいっきさん」と呼んでいた。温和で楽観派で、組織が沈み込んだりすると、いつも笑って励ました[3]。深夜の飲み会に付き合う小林は、決まって、"いや、圧勝、圧勝"と言って[2]、番組の視聴率が低迷していた初期の頃、この言葉で若いスタッフを励ました。亡くなってから小林さんに代わる方はいろいろいたが、やはり小林さんの存在は大きかったと小田は記している[4]。
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著書
- 『テムズの川霧が消えた』朝日新聞社、1991年4月。ISBN 4-02-256312-5 。
- 『テムズの川霧が消えた』朝日文庫、1992年9月。ISBN 4-02-260728-9。
脚注
参考文献
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