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小林年参
明治期の浮世絵師、編集者、出版家 ウィキペディアから
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来歴
姓は小林または古林、名は栄成[2][3]。亭斎、進斎、日不見岡、進斎年参などと号す[3][4][5][6][7]。現在の三重県に生まれた士族で[8]、上京して月岡芳年の門人となる。明治7年(1874年)頃から芳年の補佐として名が記され[9][10]、明治19年(1886年)頃まで浮世絵や挿絵などの作品が見られる[4]。西南戦争の戦争絵や風俗画などの浮世絵を描いた他、図版や書籍の編集人や出版人としても活動した[8][11]。京橋区銀座や猿楽町二丁目に居住したが[2][8]、芳年が浅草須賀町に住んでいた明治19年頃、27名の門人に宛てて出した書状(芳年門人一覧)には「神田区神保町 小林年参殿」とある。生没年は明らかではないが、明治31年(1898年)に建立された月岡芳年翁之碑には「芳年社中故門人」の中に「小林年参」の名があるので、これ以前に没していたものとみられる。
なお『原色浮世絵大百科事典』第2巻では進斎年光と同一人であるとみなし、年光が明治13年から年参と称したとしているが、それ以前に版行された「年参」落款の錦絵があり、また、進斎年光と号した人物は存在しないので、誤伝であろうと考えられる。
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作品
挿絵
錦絵
- 「徳川十五代記略 九代将軍清水邸の新築御遊覧の図」 中判 東京都立図書館所蔵 ※明治8年(1875年)、万屋孫兵衛版
- 「徳川十五代記略 米使ペルリ家定公を拝謁の図」 中判 東京都立図書館所蔵 ※同上
- 「うきよはんじよう穴さがし」 大判3枚続 ※明治10年、林吉蔵版
- 「西国征討新誌」 大判3枚続 ※明治10年、山中北郎版
- 「元治夢物語」 大判3枚続 東京大学史料編纂所所蔵 ※明治11年、井澤菊太郎版
ギャラリー
- 「梁山泊麓両傑争勇」
明治9年(1876年) - 「西國新聞雙六」
明治9年 - 「開明貴族表」
明治10年(1877年) - 「西國征討新誌」
明治10年(1877年) - 「賊魁ノ首級實検之圖」
明治10年 - 「上野公園地ニ於テ米國前ノ大統領グラント氏鎗術遊覧圖」
明治12年(1879年) - 「上野公園博覧会場 美術館 猩々噴水器之圖」
明治14年(1881年)
脚注
参考文献
関連項目
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