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小河良利

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小河 良利(おごう よしとし)は、戦国時代武将

概要 凡例小河 良利, 時代 ...

出自

江戸中期の福岡藩士・加藤一純の編纂した『増益黒田家臣伝』によると、出自を遡ると治承・寿永の乱源義経に従って活躍した摂津国の武将・鷲尾義久の末裔とされ、その後も摂津に代々住んだという。嫡流のみを鷲尾氏と呼び、支流は全て小河氏と名乗ったという。

『増益黒田家臣伝』によると、父は小河義直(よしなお、武蔵)[2]で、弟に信章(伝右衛門)と姉妹が一人あったとされる。当初は中播磨の雄・小寺氏に従っていたようで、『黒田家譜』では主君・小寺政職の「毛利氏織田氏のいずれにつくべきか」という諮問を同僚の小寺孝隆(官兵衛、のちの黒田孝高)や江田善兵衛(えだ ぜんべえ)らと共に受けている。この時は孝高の「織田氏につくべし」という意見が採用されて小寺氏は一時織田信長の傘下に入るが、天正6年(1578年)には織田方から離反し、政職は居城の御着城に籠城する。その時の主な籠城者の名簿が「小寺政職家中記」に掲載されているが江田善兵衛と共に良利の名はなく、また小寺孝高は織田方に残留しており、良利らも小寺氏に従わなかった可能性もあるという[3]

後に弟の信章が黒田孝高に従軍して九州平定で活躍し、5,000石を与えられているが、良利はこの後に黒田氏領の中津(豊前)へ下向し、自身も1,370石を与えられて黒田家に仕えた。

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脚注

参考文献

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