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小金沢福次郎
日本の陸軍軍人 ウィキペディアから
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小金沢 福次郎(こがねざわ ふくじろう、1891年(明治24年)12月13日[1] - 1944年(昭和19年)7月18日[1][注釈 1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。兵科は工兵科[1]。
経歴
1891年(明治24年)に群馬県で生まれた[1]。陸軍士官学校第26期卒業[3]。1937年(昭和12年)10月に独立工兵第2連隊長(第10軍直轄)に就任し[4]、日中戦争に出動。1940年(昭和15年)に陸軍工兵学校教官に転じ[2]、1941年(昭和16年)7月に関東軍・第5軍隷下の独立工兵第7連隊長に就任して[1]、8月に陸軍大佐に進級した[2]。1944年(昭和19年)に同部隊は第31軍戦闘序列に編入され、サイパン島に出征[1]。米軍上陸に対し果敢な反撃を加えたが、米軍の圧倒的な攻撃の前に玉砕[1]。7月18日に戦死[1]、任陸軍少将[5]。
脚注
参考文献
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