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山井兼文

明治から大正期の宮内官、政治家、華族 ウィキペディアから

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山井 兼文(やまのい[1] / やまい[2] かねふみ、1868年12月9日(明治元年10月26日[1])- 1918年大正7年)3月25日[1][2])は、明治から大正期の宮内官、政治家華族貴族院子爵議員。幼名・芳麿[1][3]

経歴

山城国京都勘解由次官山井氏胤の長男[注 1]として生まれる[1][3]1884年(明治17年)5月30日、父が廃嫡となり、同年7月8日、養祖父・伯父山井氏暉の隠居に伴い家督を継承[1][3]。同年7月8日、子爵を叙爵[1][3][4]1887年(明治20年)10月、兼文に改名した[3]

1886年(明治19年)5月、明宮(大正天皇)家祗候に就任[2][3]。以後、久宮家雇、爵位局雇などを務めた[2][3][5]

1897年(明治30年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[6][7]1906年(明治39年)3月2日に辞任[8]するまで2期在任した[2]。墓所は青山霊園

親族

脚注

参考文献

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