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山内豊政

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山内 豊政(やまうち[1] / やまのうち[2] とよまさ、1871年5月29日(明治4年4月11日[1]) - 1955年昭和30年)10月18日[1][2])は、明治から昭和期の政治家華族貴族院男爵議員南邸山内家3代当主。

略歴

土佐藩南邸山内家2代当主・山内豊積(10代藩主山内豊策五男・山内豊著の三男)の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1895年(明治28年)1月8日に男爵を襲爵した[1][4][5][6]

学習院高等科和仏法律学校(現・法政大学)を修了[2]1896年(明治29年)12月、一年志願兵として歩兵第22連隊に入隊し、1899年(明治32年)2月、陸軍歩兵少尉に任官し、1905年(明治38年)後備役となる[4][5]

1904年(明治37年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[7][8]公正会に所属して活動し[2]1925年(大正14年)7月9日まで3期在任した[2]

墓所は青山霊園1-イ3-1。

栄典

親族

  • 妻:アイ(真木長義二女)1943年1月22日没[1]
  • 長男:豊輝(1944年1月26日に戦病死す)[1]
  • 三男:秀夫(楠田英世男爵家養子、南邸山内家4代当主)[1]
  • 五男:豊保(1944年12月3日病死)
  • 長女:達子(たつこ、1904-1959) ‐ 医学博士松岡冬樹の妻。1925年に結婚し、夫ともにブラジルに渡航、帰国後1938年に夫と死別[1][10]
  • 二女:華子(内藤政道の妻)[1]
  • 四男:豊文(茂木蔵之助養子、のち復籍[1]

脚注

参考文献

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