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山畑横穴群

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山畑横穴群
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山畑横穴群(やまはたよこあなぐん)または山畑横穴古墳群(やまはたよこあなこふんぐん)は、宮城県大崎市三本木蟻ヶ袋山畑にある古墳時代後期から奈良平安時代初頭の横穴墓群である。6・10・15号墓には彩色壁画が確認されており、装飾を有する横穴墓群としては最も北に位置する。1973年(昭和48年)12月15日、国の史跡に指定された[1]

概要 山畑横穴群, 別名 ...

概要

浮石凝灰岩でできた丘陵の南斜面に位置する。1972年(昭和47年)に26基を確認、そのうち23基が発掘調査された。

玄室立面形は宝形・切妻寄棟アーチ状と多様で、台床を備えるものもある[2]

本横穴墓群を特徴付けるのは6・10・15号墳の装飾横穴墓で、玄室や玄門・羨道に線・珠文・同心円文を朱描きする[2]。6号墓の玄室にはかすかに朱描の線が、また10号墓の玄室には朱描の線・珠文・同心円文が認められる。15号墓の玄室および玄門・羨道には格子状の朱線が描かれている。これら3基は玄室の構造・形態から15→10→6の順で造営されたと考えられる[2]

遺物は土師器(坏・蓋・高坏・壺・長胴甕)・須恵器(坏・蓋・提瓶・長頸壺・短頸壺)・鉄製品(刀子・鏃・鞘尻・斧)で、その多くは前庭部や外部から出土した[2]

本横穴群は6世紀末に造営が始まり、追葬を行いつつ9世紀まで使用された[2]

調査終了後、横穴群は保存のために埋め戻されたが、隣接して建てられた資料館に15号墓が復元され、出土品とともに展示されている[3]

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脚注

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