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岡見義男

日本の造園家 ウィキペディアから

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岡見 義男(おかみよしお、1888年(明治21年) - 1963年(昭和38年))は、日本の造園家。園芸家。ラン栽培家、花卉装飾家。フラワーデザイナー宮内省宮廷造園花卉装飾で活躍。この他恵泉女学園にて後進育成にもまい進する。東京生まれ。

園芸文化協会評議員、日本蘭協会顧問、全日本蘭協会顧問、浜松蘭友会顧問などを歴任。ラン栽培界に多大な功績をのこす。

経歴

1907年(明治40年)芝の旧制正則尋常中学校(現・正則高等学校)を卒業するが、病を患う。その後、宮内省内匠寮に入省し、新宿御苑に配属。

これは病気静養の後について、医師の勧めにより園芸を志したからで、当時上級の園芸学校がなく[1]、やむを得ず新宿御苑を管理運営する宮内省に奉職したもの。

1910年(明治43年)、宮内省より英国へ園芸事業調査研究のため出張を命ぜられ、一年間の見学と実地研究を行う。

1912年(明治45年)再度渡英し王立キューガーデンに研究生として入学。

1913年(大正2年)帰国。再び新宿御苑に奉職、ラン栽培と宮中の花卉装飾を担当。

1946年(昭和21年)、宮内省を退官し、恵泉女学園の創始者である河井道に乞われて、恵泉女学園農芸専門学校に入り、園芸科の教授を勤める。

なお恵泉女学園は、設立から「聖書・国際・園芸」という三つの教育の柱を据え、このためその後設立された短大、大学でも学問専門領域が異なろうとも全学生に「園芸」を必修とした[2]

1963年(昭和38年)病気のため退職、同年11月逝去[3]

セロジネの品種改良貢献により、氏を偲んで、セロジネ-シンジュクNo.7は「メモリアオカミ」という名称がつけられている。

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著書

  • ラン ― 種類と培養 誠文堂新光社, 1964
  • 蘭科植物の栽培 誠文堂, 1934年

参考文献

脚注

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