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岡部周治
日本の政治家 (1891-1967) ウィキペディアから
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岡部 周治(おかべ しゅうじ、1891年〈明治24年〉4月17日[1] - 1967年〈昭和42年〉11月30日[2][1])は日本の政治家。衆議院議員(1期、日本社会党)、群馬県議会議員(2期)、群馬県新田郡強戸村長。
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経歴
1891年(明治24年)4月17日、群馬県新田郡強戸村大字強戸(現・太田市強戸町)に岡部駒次郎・よし夫婦の次男として生まれる[1]。生家は地主で、父駒次郎は群馬県会議員・強戸村長を務めた[1]。1909年(明治42年)群馬県立太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)[1]、1911年(明治44年)東京府青山師範学校第二部[1]、1915年(大正4年)に法政大学専門部法律科を卒業する[2][1]。
家業の農業に従事し、戦前は強戸村農会長、東毛乾繭販売利用組合理事、新田郡農会長、県農地委員会委員などを歴任[1]。群馬県農業会理事・同副会長を務めた後、戦後は県蚕糸業会理事、県地方森林会議員、強戸村農業協同組合長、群馬県販売農業協同組合連合会長などを歴任した[1]。
1939年(昭和14年)から1940年(昭和15年)にかけて強戸村長に在職[1]。1942年(昭和17年)から1945年(昭和20年)まで群馬県会議員を1期、戦後も1947年(昭和22年)から1951年(昭和26年)まで地方自治法のもとで群馬県議会議員を1期務める[1]。当初は政友会に属したが群馬県議会議員の時は日本社会党に所属して県支部連合会副会長も務め、のち右派社会党中央委員となる[1]。
1952年(昭和27年)、第25回衆議院議員総選挙に群馬2区から右派社会党で出馬し、当選する[3][1]。衆議院議員を1期務め、1953年(昭和28年)の第26回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。
群馬県遺族会評議員も務めていた[1]。
1967年(昭和42年)11月30日、自宅で心不全により死去、76歳[1]。死没日をもって勲五等双光旭日章追贈、従五位に叙される[4]。菩提寺・墓所は太田市強戸町の曹洞宗瑞光寺[1]。群馬県会議員を務めた新田郡宝泉村の赤石武一郎は岳父[1]。
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脚注
参考文献
関連項目
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