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岩田麻里
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来歴・人物
1979年から4年間、アメリカ・ロサンゼルスで過ごす[1]。
1986年、「テントレーベル・オーディション」出場[1]。その後有頂天のコンサートツアーメンバーとして参加した後[2]、1988年、サンチェーン・ミュージック・バトルロイヤルで「サンチェーン賞」を受賞[1]後、鈴木慶一プロデュースによるデビューが決まり[1]、1989年ポニーキャニオンよりデビュー。新人当時所属していた事務所は、鈴木慶一プロデュースで活動していた関係で、「ムーンライダーズ・オフィス」[3]。
1989年当時、「本当はパンクをやりたかったが、安定した生活をして来ているから、自分にはやれないと思った」と話していたことがある[2]。しかし1990年当時、当人には「インテリジェント・パンク・アイドル」のキャッチフレーズが付いていた[4]。
1989年12月、初の書き下ろし小説『ブルジョワ・チェリー』を皮切りに、作家としての活動も始める[5]。「文章を書くのは割と好きな方だが、いつも散文ばかり書いているので、こんなに長い文章を書いたのは初めて」と、そして『ブルジョワ・チェリー』を書くのに「正味2か月くらいかかった」とと語っている[5]。
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ディスコグラフィー
シングル
- ルール違反(1989年1月21日)
- ルール違反
- KISS!
- LOVE SLAVE(1989年7月21日)
- LOVE SLAVE
- こわれちゃう
アルバム
- Girls be Vicious(1989年3月21日)
- ルール違反
- Untouchable-Baby
- ティラノサウルスにお願い
- LOVE SLAVE
- 恋は甘美・刺激・涙
- KISS!
- OH! BOY
- こわれちゃう!
- Idol Race
- Swindle,I love you
- Bourjois Cherry(1990年1月10日)
- Girls be Vicious
- ストロベリー・ブロンド
- ゴシップ
- 意地悪エンジェル
- KILL THE DOVE
- あなたはリズム,私はメロディー
- ブルジョワ・チェリー
出演
ラジオ
書籍
- ブルジョワ・チェリー(講談社、1989年12月)
- スマイル・カット(1991年10月)
- 足りないものは はちみつのキス(1993年1月)
関連項目
- 大槻ケンヂのオールナイトニッポン - 大槻ケンヂとも友人であった[4]。
- 鈴木慶一
脚注
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