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川崎大空襲
第二次世界大戦でアメリカ軍により行われた、川崎市に対する無差別爆撃 ウィキペディアから
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川崎大空襲(かわさきだいくうしゅう)は、第二次世界大戦でアメリカ軍により行われた、川崎市に対する焼夷弾及び爆弾を用いた無差別爆撃。
経緯
被害状況
- 1942年4月18日の空襲では死者34名という被害を受けた。1945年4月4日には約50機のB-29が飛来し、死者194名、負傷者243名、罹災者1,770名、全半壊焼失家屋470戸、全半壊焼失工場119という被害を受けた。同年4月15日の空襲では200機余の米軍機が飛来し、焼夷弾と爆弾合わせて1,110トンが投下され、市街地全体と南武線沿いの工場が壊滅的な打撃を受け、多大な死傷者を出した。全半壊家屋33,361戸、全半壊工場287、罹災者は10万人を超えた[1]。
- ただし、被害状況は資料により相違がある[1]。
- 川崎市の「川崎戦災復興誌」によると罹災人口は154,426人。罹災家屋38,514戸(うち焼夷弾による焼失37,431戸、爆撃による全壊476戸、半壊607戸)。死者768人、重傷者2,500人、軽傷者12,472人。
- アメリカ軍による「米国戦略爆撃調査団報告書」によると罹災人口は154,426人。罹災家屋35,107戸。死者1,520人、負傷者8,759人。
- 日本政府による「太平洋戦争による我国の被害総合報告書」によると罹災家屋35,635戸(うち焼夷弾による焼失34,931戸、爆撃による全壊276戸、半壊335戸)。死者1,001人、負傷者1,524人[2]。
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脚注
参考資料
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