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工藤幸裕

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工藤 幸裕(くどう ゆきひろ、1937年1月27日 - )は、日本プロゴルファー

概要 工藤 幸裕Yukihiro KUDOH, 基本情報 ...

弟の工藤吉彦もプロゴルファー[1]

来歴

我孫子ゴルフ倶楽部の少年キャディから22歳でプロ入りし、林由郎が師匠で、後に船橋カントリークラブ茨城県水海道ゴルフクラブに移った[1]

1962年日本プロでは最終ラウンドで68をマークし、戸田藤一郎森岡比佐士と並んでの10位タイ[2]に入った。

1964年の日本プロでは強い西風が吹いた初日、49歳の大ベテラン戸田、前年優勝の橘田規と共に1アンダー71をマークし、首位タイ[3]に立ち、1966年関東オープンでは原孝男の2位[4]に入った。

1968年関東プロでは初日の19ホール目、495ydパー5の1番ホールで日本プロゴルフ界初のアルバトロスを記録[1]。工藤のティショットはフェアウェイ右サイドをとらえ、ピンはグリーン左のバンカーサイドで、スプーン(3W)で打った第2打は、持ち球のフェードで花道を駆け上がり、グリーンをとらえるナイスショットであった[1]。工藤が「うまくいったな」と歩き出すと、グリーンサイドにいた数人のギャラリーから拍手喝采、次いで「入ったぞー」の声が聞こえ、工藤は「入っちゃったんだ」と喜びに浸った[1]。2番ではバーディ、3番はパーとし、4番では459yd、打ち上げの最難関のパー4を4番アイアンで高い球を打ち、直接入ってイーグルが出た[1]。4ホールで1アルバトロス、1イーグル、1バーディの6アンダーで背筋に寒気が走るほど怖くなると、その後のスコアは下降線をたどり、後半18ホールの好スタートを生かせなかった[1]。4ラウンド終了時で順位は大きく後退し、工藤は中村寅吉が14アンダーの大会レコードタイ記録で優勝したのと比べて情けない気持になった[1]。    

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著書

脚注

外部リンク

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