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平井一正 (重量挙げ選手)
日本のスポーツ科学研究者 ウィキペディアから
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平井 一正(ひらい かずまさ、1949年11月21日 - )は、日本のスポーツ科学研究者、名古屋産業大学教授[1]。1970年代には重量挙げ選手として活躍し、1976年モントリオールオリンピックでは男子フェザー級銅メダリストとなった[1][2]。モスクワオリンピック代表にも選出されていたが、日本のボイコットにより不参加となった[1][3]。
経歴
岡山県出身[4][3]。岡山市の関西高等学校の2年生のときに重量挙げを始め、中京大学に進んだ[3]。1972年[2]、中京大学体育学部体育学科を卒業したが、重量挙げ選手を続けることを断念し、岡山県に戻って日本料理店で板前として働いた[3]。しかし、三重県で重量挙げの指導者をしていた平岡一能に指導され、三重県へ移って高校の教員となり、競技に復帰した[1][3]。
三重県立亀山高等学校教諭であった1974年にテヘランで開催された第7回アジア競技大会では、フェザー級でスナッチ、ジャーク、トータルすべてで金メダルを獲得した[5]。
1976年のモントリオールオリンピックでは男子フェザー級で、手の皮がめくれるアクシデントに見舞われながら、銅メダリストとなった[3]。帰国後には佐賀県で行われた第31回国体出場。同年10月26日には成人フェザー級スナッチで、自己の国内公認記録を1.5kg上回る127.5kgの記録を出した[6]。
1978年にバンコクで開催された第8回アジア競技大会でも、平井はフェザー級で金メダルをとり、アジア大会2連覇を果たした[2]。
現役時代の平井は、全日本ウエイトリフティング選手権大会優勝5回(第33回、第34回、第36回、第38回、第39回)を数えた。
四日市中央工業高等学校教諭だった2008年には、平成19年度文部科学大臣優秀教員表彰を受けた[7]。
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脚注
外部リンク
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